JリーグPRESSBACK NUMBER
「解任を知って嗚咽しました」「それも含めて柏木陽介だなと」広島で大遅刻、浦和で重圧に苦しんでも…なぜ恩師ミシャとファンに愛されたか
posted2024/01/09 11:01
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph by
Toshiya Kondo/Kiichi Matsumoto
柏木がプロとして急成長を遂げた要素として忘れてはならないのは、「ミシャ」ことミハイロ・ペトロヴィッチ(現北海道コンサドーレ札幌監督)にサンフレッチェ広島時代に見いだされたことだ。再びともに戦うことになった浦和レッズ時代も含めて、その思い出を懐かしそうに、そして嬉しそうに口にする。
◇ ◇ ◇
2年目のオフを満喫しすぎて…
――2009年まで在籍した広島時代で一番印象に残っていることはなんですか?
「プロ1年目からポジションを獲って、2年目にはA代表に入って、U-20ワールドカップに出て、オリンピックの最終予選にも出て、でもチームはJ2に降格してしまった。そこまでの流れは本当に怒涛だったなと思います。個人的には、ただただサッカーを楽しんでやっていたら、そこまで行けちゃったなっていう感覚でしたね。でも、その後が良くなかった」
――何があったんですか?
「2年目のオフを満喫しすぎて、コンディションが整っていない状況から怪我をして、オリンピックのメンバーには入れなかった。楽しいことに流されがちなところがあったんですよね。もちろんチャンスを逃したとは思ってるけど、それも含めて広島時代はすべてが楽しかった。良いことも、悪いことも、いろんなことを経験するなかで、個人としてもチームとしても伸びていった時期だったと思います。本当に怖いものがなかったし、好きにやらせてもらっていましたね」
午前練習なのに起きたら12時半、ミシャも怒るかと思ったら
――今だから明かせるエピソードってありますか?
「確か4年目だったと思うんですけど、トルコキャンプに行く時に、パスポートが失効していたんですよ。それで4日くらい遅れて合流して、スタッフから『お前なんて、いらねえ!』って言われたことがありました。でも、ミシャは笑ってましたよ(笑)。あと、累積警告で試合に出られない時に『サブ組の練習も行かなくていい。その代わりに試合に出るメンバーのボール回しに参加してくれ』とミシャに言われたんですよ。練習は午前中だったんですけど、起きたら12時半だった(笑)」
――それはさすがにミシャも怒ったでしょ?