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プロ野球PRESSBACK NUMBER
33歳で戦力外通告「おっさん、早せえや!」元巨人ピッチャーが“15歳の職人”から痛烈な洗礼…地獄の現場から年商160億の社長へ逆転人生
text by
松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byKYODO
posted2023/12/30 11:03
1993年ジュニア選手権(現・ファーム日本選手権)で優勝を決め、マウンドで喜ぶ松谷竜二郎と捕手・吉原孝介
ビジネス界も、時として曖昧な場合もあるけれど、商売の基本というものがしっかり確立している。中には基本の大事さもわからず、言われたことだけやり、物事の本質に目を向けない人間もたくさんいる。ビジネスでわからなくなっても、また基本に戻ってやればいいだけ。こうやって、ビジネスの壁にぶち当たるたびに上手く野球に置き換えて対応している。
松谷にとって野球は、いまだ完全燃焼していない代物だ。結果が結果だけに、自分の中で不完全燃焼の思いは消えない。だからと言って、それをずっと引きずっていても仕方がない。
よく、あのときの巨人の選手層は厚かったからねとか、不遇やったねといった類のことを言われるが、どんな状況であれ本当に上手い選手だったらどんな形でも頭角を現してくる。それができなかったのは全部自分の責任であり、だから自分で蓋をしている。ずっと後悔しているというか、いまだに野球の夢を見る。
社会人、巨人、近鉄でプレーし、良い思い出も悪い思い出も経験してきた。この財産は自分のバイブルでもあり、万人が体験できないものを持ち併せながらセカンドステージで使えるものは使っていく。ただ、それを前面に出してしまうとなかなか上手くいかないのが難しいところ。
槙原「はよ辞めてよかったなぁ」
2022年、現役時代世話になった槙原寛己と会ったときに開口一番に言われた。
「おまえ、はよ辞めてよかったなぁ」
「確かにそうですね〜」
自然と言葉が出た。楽しかった日々の思い出は消え去ることはないし、普通の人ではなかなか経験できないことをさせてもらったとしみじみ実感している。
槙原クラスであってもセカンドキャリアをずっと左団扇でいることはない。昔だったら有名選手は引退しても飯を食える手段はいくらでもあったのが、野球中継が地上波でほとんど放送されない時代、解説者で現役と同じくらいサラリーをもらうのは相当難しい。野球の神様が、「おまえ、その辺で辞めとけ。これやったほうがええんとちゃうか」と言ってくれたんかなぁと松谷は思うこともある。