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プロ野球PRESSBACK NUMBER
33歳で戦力外通告「おっさん、早せえや!」元巨人ピッチャーが“15歳の職人”から痛烈な洗礼…地獄の現場から年商160億の社長へ逆転人生
posted2023/12/30 11:03
text by
松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph by
KYODO
松谷竜二郎(まつたに・りゅうじろう)
1964年7月10日生まれ。大阪府出身。大阪市立高校(現大阪府立いちりつ高校)卒業後、大阪ガス野球部に入部し、3年連続で都市対抗に出場するなど社会人野球で活躍。88年巨人にドラフト2位で入団。91年に21試合に登板し、完投勝利を含む2勝を記録。97年に引退後は建築業界に転職。現在はスチールエンジ株式会社の代表取締役。
※以下、書籍の一部抜粋
◆ ◆ ◆
1998年5月より建設会社の営業兼現場作業員として、33歳松谷竜二郎のセカンドキャリアが始まった。
思い描いていた世界とはまるで違い、最初は地獄だった。ヘルメットを被って作業着を着て現場に行き「新人です」と挨拶しても、年齢が年齢だけに普通に業界のことを知っているものと思われる。初めてのことで右往左往していると、「なんや、おまえ何もできへんのか!?」と15、6歳の職人から罵声を浴びせられる始末。元巨人軍の投手なんて肩書きは屁の役にも立たない。20近くも年下の意気がったにいちゃんたちに顎でこき使われ、名前さえ呼んでもらえない。完全に素人のおっさん扱い。悔しさで唇を嚙む日が続く。
時折、藤田元司が市ケ谷の事務所に来ては声をかけてくれる。
「頑張っとるか?」
「はい、頑張ってやってます」
松谷は元気を装って返事するものの、もう辞めたくて辞めたくて仕方がなかった。
「やっぱダメか」「だから野球選手はね〜」
「おっさん、早せえや!」現場で怒られるたびに「すいません」と頭を下げながら、絶対に仕事覚えなあかんという思いがどんどん強くなってくる。
最初の一年間は仕事を覚えるために土日も出勤して、親方に頭を下げていろはを教えてもらった。怒鳴られながらも、歯を食いしばってやった。辛くなって逃げたい気持ちになっても、紹介してもらった末次のことを思い出した。自分が逃げ出してしまったら「やっぱダメだったか」、「だから野球選手はね〜」と末次の顔に泥を塗ることになる。「絶対に恥をかかせてはあかん」と強く思うことで何度も何度も踏みとどまることができた。