「僕と同期の子たちはもう入社7年目で、チームの中堅層くらいの立場になっているんですよね。会社からはそれぐらいのレベルを求められるので、もう仕事、仕事、仕事の日々というか……。1年くらいは荒波に揉まれている状態で、土日に練習に行ければいいほうでしたね」

　ようやく仕事が身体に馴染んできた2022年の春から、プロテストにむけて本格的にトレーニングを開始。当初、木村と同じくプロを志す会員たちもいたというが、ひとりまたひとりとジムを去っていったという。

「プロテストは受験者の6割が受かると言われていますけれど、それはテストまで行き着いた人の中の数字であって、実際はそれまでにかなりの志望者が離脱しているんですよね。一番の理由は殴られることへの恐怖心だと思います。最初はシャドーだったり、サンドバッグを打ったりと攻撃メインの練習でも、後半になるとスパーリングとか対人練習が増えてきて。そこで心が折れて、ぱったり来なくなっちゃうんです」

©Shigeki Yamamoto

　そう語る木村もまた「最初は怖かったですよ。殴られるのなんて痛いし、怖いし」と振り返る。ボクサーを目指すうえで最大の障害は、人間の本能的な恐怖心なのかもしれない。それを乗り越えた木村は、その年の秋のプロテストに合格した。

〈元陸上日本代表がプロボクサーに転向〉

　異例の転身は、さまざまなスポーツ媒体で報じられ、木村は一躍話題のアスリートとなった。だが、当の本人は意外にも冷静に受け止めている。

「自分としてはボクシングが好きだからやっているだけなんですよ。そこまで大層なことはしていないというか……。でも、思っていた以上に反響がすごくて、そこにギャップは感じましたね。だって陸上時代にNumberさんの取材なんて受けたことないですよ。ラッキー、みたいな（笑）」

「陸上の晩年より、今のほうが楽しい」ワケは…？

　そう冗談めかして笑う木村。陸上時代やボクシングのトレーニングについて話を重ねていると、ふいに「陸上の晩年より、今のほうが楽しいんですよね」とつぶやいた。それは、限界まで競技を極めたがゆえのリアルな感覚だった。

©Shigeki Yamamoto

「キャリアの最後のほうって、会社に所属している以上、結果も出さなきゃいけないし、陸上が『義務』になっていて。しかも、もう伸びしろもなくなっている状態ですし、それで練習しても跳ね返りがないんです。毎日の練習が『今日の自分って何が良かったのかな……』って探しに行く作業なんですよ。でも、今こうやって新しいことを始めると毎日が発見ばかりで充実していて。『ここをこうしたらよくなる』とか、そういう跳ね返りが楽しいんです」