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名門ジムから31歳で《プロボクサー転身》…“五輪延期で引退決断”の陸上元日本代表のナゼ「陸上競技の晩年より、今が楽しい」意外なワケは?
posted2023/12/26 11:02
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by
L)AFLO、R)Shigeki Yamamoto
陸上短距離の元日本代表からプロボクサーに異色の転身を遂げた男がいる。2018年アジア大会男子・男女混合4×400mリレー代表の木村淳(32歳)。2020年に現役引退後、名門・大阪帝拳ジムに入門して、昨年秋にプロテストに合格した。
日の丸を背負ってトラックを駆け抜けた彼は、なぜリングへと戦いの場を移したのだろうか。人知れず葛藤を抱えていた陸上人生を経て、プロテスト受験に至るまでの道のりについて語った。(Number Webノンフィクション全2回の第1回)
大阪市都島区のJR京橋駅近く。昭和の下町情緒が漂う商店街を抜けた先の雑居ビルに、大阪帝拳ジムはある。
「この汗とワセリンのにおいが混ざり合う感じというか……。初めて来たときは、独特な雰囲気を感じましたね」
ジャージ姿で現れた木村は、陸上時代と比べるとやや細身になった印象だ。スプリンターの面影を残しながらも、足元はスパイクではなく、ボクシングシューズに履き替わっていた。
木村が生まれ育った沖縄は、ボクシングが盛んな土地柄だ。過去には具志堅用高や渡嘉敷勝男、比嘉大吾といった世界王者を輩出してきた。幼い木村も自然と、ボクシングに興味を抱いていた。
「小学1年生の頃、両親に『ボクシングをやりたい』って伝えたんです。でも、危険を伴う競技だからと反対されて。代わりに兄貴が入っていたサッカーチームに加わることになりました」
インターハイ200mで2位に入ると大学は中大へ
そこで木村の俊足ぶりが買われた。小学3年から沖縄市の陸上クラブ「アンテロープ」に入ると、県大会100mで優勝を飾り、すぐに頭角を現した。中学時代には400mで県中学記録をマークし、当時の全国ランキングで3位に入る。中部商高ではインターハイ200m2位など実績を残した。
高校卒業後は、短距離の名門・中央大に進学。元々はショートスプリントを中心にしていた木村だが、大学3年時に400mに本格転向した。その背景には、度重なるハムストリングスの怪我、そして同級生の飯塚翔太(ミズノ)の存在があった。
中央大の同期だったふたりは、高校時代から全国大会で度々顔を合わせる仲だった。木村が2位だったインターハイ200mで飯塚は優勝。大学1年時には世界ジュニア200mで日本人初の優勝を果たしている。
「こいつにはどう足掻いても勝てない」
日本の短距離界を背負うスターとして、将来を嘱望される同級生と練習を積むなかで、200mで戦うことの限界を感じていたという。
「ずっとやってきた種目は100mと200mでしたけれど、自分の適性は400mにあるんじゃないかとは薄々気づいていたんですよね。ショートスプリントで勝ちたかったけれど、将来を見据えたら400mのほうが可能性があるんじゃないか、日本代表に近づけるんじゃないかと思い始めました」