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「161億円男」アザール32歳、ケガに苦しみ早すぎる引退…チェルシーで最強ドリブラーになれたのは“3人の名将”に学んだからこそ 

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山中忍

山中忍Shinobu Yamanaka

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photograph byTakuya Sugiyama/JMPA

posted2023/10/22 17:01

「161億円男」アザール32歳、ケガに苦しみ早すぎる引退…チェルシーで最強ドリブラーになれたのは“3人の名将”に学んだからこそ<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama/JMPA

ロシアW杯のエデン・アザール。レアル・マドリー移籍後は不遇だったが世界最高のドリブラーであったのは疑いようのない事実だ

 まだ通訳が必要だったチェルシーでの1年目、「弟たちと裏庭でボールを蹴って遊んだ頃の楽しさは忘れていない」と語った日系誌向けのインタビューで、当人は「体は小さいけどヤワじゃない」とも語っていたが――持ち前のテクニックとセンスによる自己表現を可能にする低重心の力強さをも備えていた。

 個人的な“アザール初鑑賞”は、2012年のプレシーズン終盤に行われたブライトンとの親善試合だった。欧州大陸から輸入されたドリブラーは、イングランドのフィジカルを嫌いがちだ。その点アザールは、当時はまだ三笘薫が所属しておらず、2部の質実剛健なチームだったブライトンの荒療治にも怯まずに1対1を仕掛けていた。

モウリーニョによって覚醒が促された

 アザールにとって初体験のプレミアで被ったファウルは、チーム内で断トツの79を数えた。それでも、リーグ戦でチーム2位の11アシストをこなしながら、得点数もチーム3位の9ゴール。この若かりし頃の耐久性が、ダメージ蓄積と早期引退の一因とも考えられるが、プレミアで出場数が30試合を下回ったシーズンはないタフネスも見せた。

 移籍2年目には、ジョゼ・モウリーニョの就任がワールドクラスへの成長を促進した。2015年12月に訪れるモウリーニョ第2期の終焉直後には、鞭が入り過ぎて心が折れた主力の1人と目されたが、2年半の師弟関係は不健全なものではなかった。

 チェルシーでのハイライトは、ライバルからリーグ優勝の夢を奪ったトッテナム戦(2016年)、自軍コートから敵を一網打尽にしたアーセナル戦(2017年)、敵地で強烈に決めたリバプール戦(2018年)、次々に相手DFを手玉に取ったウエストハム戦(2019年)での個人技炸裂ゴールが代表例とされる。

「来シーズンはもっとやってもらうぞ」

 だが、忘れ難い試合はモウリーニョとの1年目にも複数ある。

 例えば、2013-14シーズン第14節サンダーランド戦(4-3)。アザールは、敵のマークが1人から2人、最後は3人へと増えても、切れ味鋭いドリブルとセーブ不能なシュートで2ゴール1アシストをこなした。

 試合後の指揮官が、「我がチームには“スペシャル・アザール”がいた」と名指しで讃えたほど。「1試合を通しての貢献は初めてだろう」とも付け加えていたが、当のアザールも「これまでなら途中で消えていたかも」と言って「一貫性」の必要性を認めていた。ロベルト・ディ・マッテオ体制を暫定でラファエル・ベニテスが引き継いだ前シーズンには聞かれなかった言葉だった。

【次ページ】 コンテの時は「ナンバー10」として輝いた

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