熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「私がPKを決めていたら」伝説の86年W杯フランス戦、ジーコの両ヒザはボロボロだった「世界の頂点を極められなかったのは残念だが」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byAFLO
posted2023/09/24 17:02
1986年W杯のジーコ。ファンタスティックなプレーで世界を魅了した名手とセレソンだが、W杯トロフィーには手が届かなかった
「世界各国のスター選手が、私のために集まってくれた。スタンドを埋め尽くした観衆が、試合の間中、私の名前を連呼してくれた。最高に幸せな夜で、『フットボールをやってきて本当に良かった』、『自分は幸せ者だ』とつくづく思った」
――名門フラメンゴで、非公式試合を合わせると732試合に出場してクラブ史上最多の508得点。セレソンでは、公式戦71試合に出場して歴代5位の48得点。W杯3大会に出場し、14試合に出場して5得点。鹿島アントラーズでもレジェンドとなり、日本代表を率いてW杯に出場しました。自分のキャリアを振り返って、どのような感慨を抱きますか?
「子供の頃から憧れていたフラメンゴでプロになり、主力として活躍し、クラブ南米王者、世界王者となった。代表で世界の頂点を極めることができなかったのは残念だが、幼い頃に夢見ていた以上のキャリアを送ることができたと考えている」
ジーコと友人だけがプレーするためだけのコートがある
CFZ(ジーコ・フットボール・センター)の一角に、彼が友人とプレーするためだけに作られたコートがある。
2005年以降、毎年末にかつてのスター選手や現役選手に声をかけてマラカナン・スタジアムでチャリティー・ゲームを主催する。数万人の観衆の前で、自らも嬉々としてプレーする。
生まれてからすぐにボールを蹴り始め、70歳の今も変わらずボールを蹴る――。彼は数億人の中からフットボールの神様に選ばれ、自らもレゾン・デートル(存在意義、存在理由)としてフットボールを選んだのだ、と感じた。
<第1回から続く>