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「私がPKを決めていたら」伝説の86年W杯フランス戦、ジーコの両ヒザはボロボロだった「世界の頂点を極められなかったのは残念だが」
posted2023/09/24 17:02
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
AFLO
名将テレ・サンタナが率いるセレソン(ブラジル代表)が、創造性溢れる攻撃的スタイルで1982年と1986年のワールドカップ(W杯)に挑んだ。その中心に、背番号10のこの男、ジーコがいた。
あの試合に限っては、攻守両面でミスが…
――1982年W杯に出場したセレソンは、あなた、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの「黄金の4人」が華麗なテクニックと豊かな創造性を発揮し、世界中のファンを魅了しました。ソ連、スコットランド、ニュージーランドと同居した1次リーグを全勝で勝ち上がり(注:ジーコは3試合で3得点の大活躍)、2次リーグでも若きマラドーナを擁するアルゼンチンにあなたの先制ゴールなどで3-1と快勝。アルゼンチンに1点差で勝ったイタリアとの対戦で、引き分け以上で準決勝へ進めるという有利な状況でした。ところが、FWパオロ・ロッシにハットトリックを許し、2-3で敗れ去ります。あれだけ素晴らしいタレントを集めたチームが、なぜ敗れたのでしょうか?
「あの試合に限っては、攻守両面でミスが多かった。W杯で、しかもイタリアのような強豪と対戦した場合、わずかなミスも見逃してはもらえない。
ただし、誰かの個人的なミスのせいで負けたと言いたいわけではない(注:1-1で迎えた前半25分、MFトニーニョ・セレーゾが中盤で不用意な横パスを出してロッシにさらわれ、勝ち越しゴールを許した。試合後、ブラジルではセレーゾが“戦犯”として吊し上げられた)。いつも言うように、フットボールはチーム全員で戦い、チーム全員で勝ち、チーム全員で敗れるんだ。
とはいえ、絶対に優勝できると信じていただけに、敗退したショックは大きかった」
セリエAでのプレーは貴重な経験となった
――1983年、30歳でイタリアの中堅クラブ、ウディネーゼへ移籍します。そのいきさつは?