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「酒、タバコが習慣化した選手も」ジーコ37歳がボウ然「アマレベル」の鹿島アントラーズが強くなるまで…ブラジルで本人に聞く
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHayato Fujii
posted2023/09/23 17:00
ブラジルのリオ南部の「CFZ(ジーコ・フットボール・センター)」にてジーコが大いに語ってくれた
「私はミヤモトさんの経歴を詳しく聞いており、監督として、また人間としてリスペクトしていた。
1993年5月のJリーグ開幕を控え、4月にイタリアへ遠征して合宿を行なった。セリエCのチームと引き分けた後、クロアチア代表に1−8の大敗を喫した。『このままではJリーグを戦えない』と危機感を覚え、以来、私が練習を仕切り、戦術指導も行なった。その後、強豪インテルと引き分け、確かな手応えを得て帰国した」
ファーストステージ優勝、しかし“あの事件”が
――5月15日、東京・国立競技場(旧)でヴェルディ川崎と横浜マリノスがJリーグ開幕戦を行なった翌日、ホームで元イングランド代表FWゲリー・リネカーを擁する名古屋グランパスエイトと対戦。1988年に前身のトヨタがあなたの獲得を考えたクラブでしたが、その相手にハットトリックを記録し、5−0と圧勝して日本中を驚かせました。
「プロリーグの発足に立ち会うという経験は、なかなかできることではない。素晴らしい盛り上がりだった。10チームのすべての選手が、期待、興奮、そして多少の不安を抱えていたと思う。我々は万全の準備をしてきたという自信があり、落ち着いてプレーできた。初戦に快勝して、自分たちがやってきたことが間違っていなかったことを改めて確認した。
この勝利でさらに自信を深め、その後も良い試合を続けてJリーグ最初のステージを制覇することができた。
◇ ◇ ◇
Jリーグ元年についてこう回想するジーコ。鹿島にとってなくてはならない存在である彼が、思わぬ行動に出たのはセカンドステージを終え、ヴェルディ川崎とのJリーグチャンピオンシップでの“あのPK前後”のこと。それが大騒動となった――。
<第2回に続く>