甲子園の風BACK NUMBER
金足農は「2番手グループにも挙げていなかった」…5年前の金農旋風を見つめた“ある記者の告白”「2ランスクイズの瞬間、公式記録員席で…」
text by
安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/08/18 11:06
5年前の2018年8月18日、劇的な2ランスクイズで近江にサヨナラ勝ちした金足農業。“金農旋風”を象徴するワンシーンとなった
佐々木が駆け寄り、ようやく上体を起こし始めた有馬の背中を、ポンポンと叩いて労った。
少し遅れて、近江の主将・中尾雄斗も有馬のもとへ駆けてきた。だから、2年生捕手は両主将らに抱えあげられるようにして立ち上がった。
歓喜の輪にいた金足農の吉田はその様子を見て、「ああ、普通の負け方じゃないんだな」と感じた。
「最後の夏に、こんな負け方をした相手に何かできないかな」
試合で使用したボールは球審から勝利校の主将・佐々木に渡された。そのウイニングボールを吉田はもらい、試合終了のあいさつをした後、目の前にいた近江の北村に差し出した。
「負けた悔しさは自分もわかりますから。記念のボールを持っていたら、いい思い出になるかもしれないという気持ちでした」
吉田輝星が差し出したウイニングボールの意味
翌2019年の夏前、プロ野球・日本ハムに入団していた吉田に取材し、その時の思いを教えてもらった。
北村はボールを受けとるのを固辞したため、主将の中尾に手渡した。佐々木も「もらってよ」とうながした。
「何ていうか、感謝の気持ちでした。甲子園で一番いい試合をして、相手をたたえたい気持ちが芽生えたんです。スポーツマンとして、アスリートとして、ごく自然に出ました。吉田も同じだったと思います」
日本体育大学に進学した佐々木も、取材に答えてくれた。
ボールを受けとった近江の主将・中尾にも、その時の様子を確認した。奈良学園大学で野球を続けていた。
「どういう意味か、はじめはわからなかった」と中尾は苦笑する。あいさつをして歩み寄ったとき、吉田は胸元にボンッとボールを押しつけ、「あげる」と言った。
よくわからないままボールをもらったが、三塁側ベンチに引き揚げる際、「監督が誕生日やからか」と思い至った。近江を率いる多賀章仁監督は、試合があった8月18日が59歳の誕生日だった。「勝って監督にウイニングボールをプレゼントしよう」と臨んだ試合だった。
実は吉田にそこまでの意図はなかったが、中尾はそう解釈した。
一瞬で勝者と敗者が入れ替わる劇的なシーンの直後に、そんな交流が行われていた。高校野球の名勝負、名場面には、こういうドラマがついてくることが多い。
いや、どんな試合にもドラマがある。だから、多くの人々の心を打つのではないだろうか。
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