NumberPREMIER ExBACK NUMBER
甲子園で清原和博が桑田真澄と語りあった日「1年のときは桑田と会話した記憶ないわ」「ホント、人生は紙一重だよな」<30年目のKK対談公開>
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph byKisei Kobayashi
posted2023/08/19 17:00
2012年、PL学園1年での優勝から30年目の夏に甲子園で行われた清原和博と桑田真澄の【Numberスペシャル対談】
桑田 1年の頃のキヨは、ホームラン打ったら喜んでダイヤモンドを回るんじゃなくて、泣きそうな顔で走ってたもん。
清原 それが、1年夏の甲子園では右へ打ったのがホームランになった。
桑田 決勝で横浜商の三浦(将明)さんから打った、甲子園初ホームランな。
清原「1年のときは桑田と会話した記憶がないわ」
清原 甲子園でプレーしてる間だけは1年生だということを忘れられた。だけど、それ以外の時間は、野球のことは考えられへんかった。どうやって生きていこうか、どうして暮らしたらいいか……先輩を怒らさんようにするにはどうすればいいのか、そういうことばっかり考えてた。
桑田 1年生はとにかくやることがいっぱいあった。甲子園でも、1年生だから球場でバスを降りるときもいっぱいの荷物を抱えてね。先発ピッチャーだとか4番バッターだとか、そんなん関係なかったもんな。
清原 最初の甲子園でメンバーに入った1年生は2人しかいなかったからな。荷物運びはもちろん、洗濯の時とか食事の時に、与えられた仕事をどうやってこなすか。1年のときは『あれはどうしよう、これはああしようか』って相談したことくらいしか、桑田と会話した記憶がないわ。
桑田 先輩の手前、あんまり2人で話できなかったから……1年生は『はい』と『いいえ』しか言えなかったし、2人で楽しそうに笑ってたら、何か言われるに決まってる。
清原 だから、必要なこと以外はほとんどしゃべれない。
桑田 僕は母に、『家に連れて帰ってくれ、もう野球、やめるから』って泣きついたことがあるよ。
清原 オレも母親に『靴下の中にキャラメルを入れてくれ』と手紙出したな。
桑田「ホント、人生は紙一重だよな」
桑田 1年の夏は、大阪大会の準決勝(茨木東戦)がたしか、接戦だった。僕は先発じゃなくて、早い回に先制されて、『すぐ作れ』って言われた。5回から投げたのかな。
清原 そうそう、あの試合、8回まで0対1で負けてたんや。でも俺が打ったフライをサードが落としてくれたから、セカンドまで行けた。その後、誰かのヒットで同点になった。もしあのサードフライを捕られてたら……。
桑田 終わりやん(笑)。ホント、人生は紙一重だよな(結果は2─1で逆転勝利)。みんな、僕らは甲子園に行って当たり前だと思っていたかもしれないけど、大阪にも強いチームはあったし、7つも勝つのは大変だった。
清原 初めての夏の甲子園は、やっぱり入場行進のことがすごく印象に残ってる。ファンファーレが聞こえてきた時、「あっ、テレビで見てた開会式のファンファーレがナマで鳴ってる」って思ったもん。『第65回、全国高等学校野球選手権大会の開会式を行ないます』って言うて、あの“パーン、パパパ、パッパラー”って始まるファンファーレ。『選手、入場~っ』。ダーン、ダダーン、ダダーンダラダダンッ、「うわーっ、すごい」と思った(笑)。
芝の感触も心地よくて、サクッサクッ、サクッサクッと、こんな芝あるのかなって。あとスタンドが大きくて、「甲子園ってこんなに大きいのか」とビックリしたよ。
【続きを読む】雑誌ナンバーの記事が読めるサブスク「NumberPREMIER」内の「池田に勝った後も、寮の仕事するので必死」「洗濯してな(笑)」清原和博×桑田真澄、PL学園・30年目の告白【独占対談/2012年】で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。