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JリーグPRESSBACK NUMBER
「日本代表には、正直めちゃくちゃ入りたい」“ズタボロに心が折れた男”はなぜJ1で覚醒したのか? 日本国籍を取得した朴一圭33歳の逆転人生
text by
曹宇鉉Uhyon Cho
photograph byNumberWeb
posted2023/07/18 11:03
サガン鳥栖に所属するGK・朴一圭(パク・イルギュ)33歳
「まだまだうまくなりたいし、うまくなれると思います。僕の場合、遅咲きだったことがよかったんでしょうね。J1は今年で5年目なので、仮に大卒だとしたら27歳、高卒なら23歳じゃないですか。僕はいま33歳ですけど、たぶんそれくらい若い気持ちでプレーできている。J1でやればやるだけ、どんどん新しい景色が見えてくるんです」
プレースタイルのルーツは朝鮮学校時代に
先述したように、朴が足元のスキルや攻撃的な能力に長けていることはサッカーファンにはよく知られている。そのルーツは、埼玉朝鮮初中級学校で過ごした少年時代にあった。
両親にならってバスケットボール部に入ろうと考えていた小学4年生のころ、同級生に誘われるがままにサッカーを始めた。体は小さかったが、すぐにGKの魅力に取りつかれた。土埃が舞うグラウンドでサッカーに熱中した少年時代を、朴は「すごく上手な先輩がいて……」と懐かしそうに振り返る。
「当然ですけどGKコーチなんていないので、最初はその先輩の見よう見まねでやっていました。当時の監督の方針で、フィールドの選手として1対1やミニゲームをやる機会もたくさんありましたね。『足を使ってプレーするのも楽しいな』という感覚を養えたことは、自分にとってけっこう大きかった気がします」
小学6年生の朴が正GKとなった2001年、埼玉は「在日朝鮮初級学校サッカー中央大会」で優勝を果たした。俗に「中央(チュンアン)」と呼ばれていた同大会は、全国の朝鮮学校でサッカーに打ち込む子供たちにとって最大の目標だった。当時は生徒数の多い大阪勢のレベルが高く、都内の朝鮮学校に通っていた1歳年長の筆者も、驚きをもって埼玉の優勝を受け止めたことを覚えている。
中学時代の朴は朝鮮学校のサッカー部ではなく、クラブチームでゴールキーピングの基礎を重点的に学んだ。高校進学にあたり、さまざまな進路を検討したが、東京朝鮮中高級学校の金鍾成(キン・ジョンソン)監督の誘いを受けて同校の高級部に入学する。とはいえ、すぐにAチームのレギュラーに抜擢されたわけでもなければ、「プロになれる」という手応えがあったわけでもなかった。
「口では『プロになる』とか大きいことを言っていた気がしますけど、虚勢というか、内心は『難しいだろうな』と思っていましたね。日本の強豪校やユースの選手は、みんな僕らよりうまかった。試合をしても全然勝てなかったですし、レベルの違いを感じていました」