熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
磐田で激怒しまくりドゥンガの日本愛「ゴン、ナナミ、フクニシ…“通常と異なる刺激”も」「ミトマにクボ、カマダ…“あのボランチ”も注目だ」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTakao Yamada
posted2023/07/16 11:02
磐田時代のドゥンガ
「そういう面もある。我々は何十年も物を食べているが、それでも舌を噛むことがあるじゃないか。できると思っている簡単なプレーであっても、繰り返し練習しなければならない。
私はロナウジーニョのようなドリブルはできないし、ロマーリオのように点を取ることもできないが、中盤でのショートパスは絶対に失敗しない」
磐田の選手たちを鬼の形相で叱ったワケ
――当時の選手たちが、「同じミスを繰り返すと、鬼の形相で叱られた」と言います。
「フットボールにミスはつきもので、誰でもミスをする。しかし、一度ミスをしたらなぜそれが起きたのかをよく考え、同じミスを繰り返してはならない。そんなことをしていたら、絶対に試合に勝てない」
ーーあなたが加入して磐田は劇的に強くなり、1997年、Jリーグ初優勝を達成。あなたはMVPに選ばれます。
「年々、チーム力が向上するのを肌で感じた。素晴らしい気分だった」
――あなたは、1998年末に磐田を退団します。翌年、古巣インテルナシオナルでプレーした後に現役を引退。2000年から2004年まで、磐田のアドバイザーを務めます。
「3カ月に一度、日本へ行き、1カ月ほど滞在した。試合を見て強化部長に自分の意見を伝え、若手選手の指導もした。この間、クラブが多くのタイトルを獲得するのを見て嬉しかった」
――しかし、その後、磐田はチーム力が低下し、2014年以降は1部と2部を行き来しています。
「チーム力を維持するには、段階的に世代交代を行なわなければならない。しかし、それができなくなっていた」
――現在の磐田をどう見ていますか?
「2部で戦っているのは残念。アカデミーの選手育成に力を入れ、クラブとしての総合力を高めて1部へ復帰し、優勝争いをしてほしい」
ブラジル代表監督、そして現在の日本代表は…
――2006年、あなたはクラブでの指導経験が全くなかったにもかかわらず、セレソンの監督に指名されます。
「2010年W杯の南米予選を首位で突破し、W杯でもGSを首位で勝ち上がった。しかし、準々決勝オランダ戦で守備のミスが出てしまった」
――2014年のW杯の後、再びセレソンの監督に指名されますが、2016年に解任されました。
「自国開催の2014年W杯の準決勝でドイツに大敗を喫し、セレソンは困難な時期にあった。ベストメンバーではなかったコパ・アメリカで敗退したことで職を解かれ、自分としては不本意だった」
――近年の日本代表についてはどう考えていますか?