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「ヤバい、壊される」同級生・村田諒太にボコボコにされた…38歳現役プロボクサーが語る“不思議な人生”「野球に戻れ!」野球関係者には怒られた
posted2023/07/03 17:00
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph by
AFLO
野球からの転向、大学中退、引退トラブル……波乱続きのボクシング人生とは?【全3回の1回目/#2、#3へ】
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38歳現役ボクサー「自分でも不思議です」
「夢は諦めたら叶う」と説いたのは『諦めの価値』(朝日新書)などの著書を持つ工学博士の森博嗣である。
「諦める」と言われると一見ネガティブな印象を抱くが「一度諦めることで環境や思考が変わって、夢の実現や目的達成のための現実的な戦略が立てやすくなる」という。
アスリートの場合「諦める=体力の限界=現役引退」となるため、この発想と符合しなさそうだが、驚くことに、諦めるたびに目標を成し遂げて来たプロボクサーがいる。38歳で今もなおリングに立つ、前東洋太平洋スーパーライト級王者の近藤明広(一力)である。
「やめようと思ったことは何度もあります。『これで終わりかな』『さすがにこれは無理だろう』って諦めかけたこともあるし、所属するジムに引退届を出されたことさえある。そうすると、奇妙なことにいきなりチャンスが転がり込んで来たり、協力してくれる方が現れたりする。自分でも不思議なんです。ウチの奥さんも『あんたって本当に持ってるよねえ』って言いますもん(笑)」
しかし、なぜ諦めながらもその都度目標を叶え、現役を続けてこられたのか。そこにどんなどんでん返しがあったのか。近藤明広の数奇な選手生活を振り返ってみたい。
「いい加減にしろ」1試合で10以上のエラー
近藤明広は1985年4月3日、埼玉県加須市に生まれた。少年時代からリトルリーグで鳴らし、エースで4番、小6にして身長は171cmを超えた。将来の夢は巨人に入団して、憧れの松井秀喜をバックに、ドームのマウンドに立つことだった。
中学に入学すると剛腕に磨きがかかる。
「球威には自信がありました。変化球も投げられたけど、コーナーさえ確実に突いておけば、まっすぐでも打たれる気がしなかった」
素質、実力ともに抜きん出ている近藤には、野球推薦の話は引きも切らず、華々しい未来が約束されていたかに見えた。