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「薬物逮捕の弟を救ったボクシング」“元祖・入れ墨ボクサー”がボロボロになるまでリングで戦った理由「兄貴はこんな凄い世界にいたのか」
posted2025/01/27 11:05
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph by
Kenji Hayashi
2000年2月21日、後楽園ホール。
この日の会場を訪れた観衆の数は、今なおボクシングの聖地の入場者レコードとして歴史に刻まれている。会場にはダフ屋まで現れ、チケット代は10倍以上に膨れ上がった。それでも入場を望む人々の列は絶えない。
メインを張る大嶋宏成の勇姿を一目見ようという観客が大半であった。元極道の入れ墨ボクサーが日本タイトルに挑むというサクセスストーリーは、目の肥えたボクシングファンだけではなく、大衆の心も掴むに十分な衝撃が備わっていた。
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相手は、後に22度の防衛を果たすリック吉村。横田基地で働く技巧派ボクサーだった。これまでの対戦者とは異なり、宏成の強打はことごとく空を切る。試合は大差での判定負け。ボクシングの奥深さを痛感する完敗だった。
キャリアにはじめて黒星がついたことを期に、次第に宏成の原動力であった反骨心が薄れていく。
テレビ番組の露出は増える一方で……
「徐々に練習に身が入らなくなり、ボクシングで生活出来ていた環境に慣れていった。何より気の置けない仲間がたくさん出来たことで、ずっと埋まらなかった心のスキマが次第に満たされていったんです。やれることはやってきたつもりでしたが、チャンピオンになったボクサーと比べると、全然練習量が足りてなかった。気付いた時には遅かったんです」
この頃、トレーナーであるシャイアン山本のジム立ち上げに伴い移籍した。生活の拠点もジムのある千葉県の八街市に移した。タイトルマッチに敗れはしたものの、その人気は健在。テレビの露出は増え続け、TBS系列で放送されたバラエティ番組『ガチンコ!』などにも出演するなど、知名度は高まる一方だった。
しかし、打たれることを厭わないファイトスタイルから網膜剥離や体中の怪我にも悩まされるようになる。2001年には東洋太平洋タイトルマッチに挑むも、12回KO負けでリングに沈んだ――。