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「絶対に移籍させない。引退だ」ボクシング元日本王者に起きた移籍トラブル…勝手に出された“引退届”「不良の神様が作ったジムの悲劇」
posted2023/07/03 17:01
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph by
Getty Images
野球からの転向、大学中退、引退トラブル……波乱続きのボクシング人生とは?【全3回の2回目/#1、#3へ】
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村田諒太が「へえ、逃げるの?」
2006年3月、東洋大学を中退した近藤明広は、所属先となるボクシングジムを探し始めた。
「こんなことを言って信じてもらえるかわかりませんけど、大学を中退した途端に『よし、やっとプロに行ける』って突如ヤル気が出たんです(笑)」
背水の陣だった。同期生の村田諒太は「へえ、逃げるの?」と厳しい言葉を投げてきたという。
「絶対に見返してやるって思いました。チャンピオンになって、この選択が間違ってなかったことを証明したかった」
インターハイ準優勝の実績を持つ近藤が大学を中退した情報は、瞬く間にプロの関係者の間に知れ渡った。いくつかのボクシングジムから誘いがあったし、自らも率先して見学に出かけた。
毎朝6時起き、10kmラン、バイト、ジムの日々
そこで、近藤が選んだのは大手のジムではなかった。戦前からの長い歴史を持つ日東ボクシングジムである。
昭和3年創立。往年の愚連隊の首領で、「不良の神様」と畏怖された益戸克己を初代会長に戴き、「上野の不良は一度は日東拳の門を叩いた」と言われる名門ジムである。筆者も一度取材で訪れたことがあるが、お世辞にも広いとは言えず、近代的な設備が整っているとは言い難い「道場」の風情の残る老舗のボクシングジムである。この「拳闘道場」に近藤はなぜ惹かれたのだろう。
「一目見て『ここだー』って思いました。確かに狭いんですけど、雰囲気が気に入ったのと『絶対にマンツーマンで見てもらえそうだな』と。大手のジムに行けば、選手も一般の会員さんも多いから絶対にマンツーマンで指導してもらえないのはわかっていました。今の自分に必要なのは、政治力とかそういうことではなくて、プロボクサーとして通用する基礎的な技術だと思ったんです」
大学のボクシング部の寮を出て一人暮らしを始めた近藤は、完全に生まれ変わった。毎朝6時に起きて10kmのロードワーク。昼間はカフェでアルバイトをして、夕方から3時間のジムワーク。規則正しい生活を自らに課すことで、闘魂を再び宿したのだ。
1R45秒“玉砕戦法”で日本チャンピオンに
入門2カ月後に組まれたデビュー戦は、ベテランの田中隆仁(岐阜ヨコゼキ)を2RTKOで下し、2戦目は不運な負傷判定負けを喫するも、それ以降は連勝街道を驀進。2007年のライト級全日本新人王を獲得している。