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「ヤバい、壊される」同級生・村田諒太にボコボコにされた…38歳現役プロボクサーが語る“不思議な人生”「野球に戻れ!」野球関係者には怒られた
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph byAFLO
posted2023/07/03 17:00
38歳の現役プロボクサー近藤明広。自らも認める「不思議なボクシング人生」を語る(写真は昨年6月、東洋太平洋王者になったとき)
中学卒業後はボクシングの強豪校である白鷗大足利高校に進学。部活で汗を流し、下校するとその足でジムワークというボクシング漬けの毎日……。その結果、高3夏のインターハイでライト級準優勝、全国大会2位という好成績を残している。
輝かしいアマ戦績を引っさげてプロ入りしようと決めたものの、当然、周囲の大人は放っておかない。
「大学から推薦入学の話が山ほど来たんです。正式に来たのが、早稲田、専修、東洋、平成国際の4校。ただ、挨拶も入れたら10以上来ましたかね。担任の先生や顧問の先生は早稲田に行かせたがるんです。でも、僕は気が進まなかった。というのも、早稲田の関係者は『入れてあげることは出来る。でも、卒業までは保証出来ない』って言うんです(笑)。もともとプロ志望なのに今更勉強なんかヤル気ゼロ。それで早稲田は見送りました」
最も熱心だったのが東洋大学だった。連日の電話攻勢に加え、直接足を運んでの説得に、「いいです。わかりました。行きます」と根負け。プロ志望から一転、東洋大学経営学部経営学科に進学することになったのである。
大学同期の村田諒太「コンちゃん、サボんなや」
東洋大ボクシング部の初練習で、新入生の近藤明広は一人の男と出会う。それが村田諒太だった。
2012年ロンドン五輪金メダリスト、プロ転向後はWBA世界ミドル級スーパー王座を獲得。昨春、ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)と世界統一戦を戦い、敗れたのを最後にグローブを置いた村田諒太である。彼も近藤明広と同じ年の東洋大新入生でボクシング部員だったのだ。
「村田君とは試験の日も同じでした。彼も高校時代から実績があったんですけど、当時からめちゃくちゃ潜在能力がありました。フィジカルも強いし、モチベーションも相当高かったです」
対照的に近藤のモチベーションは一向に上がらなかった。
「ヤル気が出なかったんです。『ああ、本当はプロに行きたかったのに、ここに来てしまった』みたいな気分もあったし、これは言い訳にしかならないんだけど、練習内容も物足りなかった。練習はマススパーを何本も回して、後は自主練。それぞれがロープを跳んだり、ウェイトやったりするんです。監督やトレーナーが付きっ切りで見てくれるわけじゃない。それも不満でしたね」
さらに、こうも言う。
「寮生活が案外楽しかった(苦笑)。みんなで夕方くらいから缶ビールを持ち込んだりして、朝まで飲み明かしたり、朝までゲームをやったりして、それで夕方くらいまで寝る。それで翌日もその繰り返し。練習も週3日くらいしか行かなくなって、そのうち行ったり行かなかったりして」
にもかかわらず、監督は近藤をレギュラーメンバーに抜擢し続けた。同期の村田は「コンちゃん、練習来いや。サボんなや」と常々言い続けた。どれもこれも、当時の近藤には耳の痛い話でしかなかった。
村田諒太は“全盛期”の魔裟斗とスパーリングしていた
ある日のことである。
「近藤、村田のスパーリングの相手してやってくれ」と監督が言ってきた。