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「野球をやめようと思っていた」カリブ海で育った青年が、決死の覚悟で受験した巨人トライアウト…冷静な左腕が“古巣対決”で力んだ理由
posted2023/06/29 11:00
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph by
Chiba Lotte Marines
「コ・バ・ヤ・シ・セ・イ・ジ!」
交流戦で読売ジャイアンツを本拠地ZOZOマリンスタジアムに迎えての初戦の練習後。C.C.メルセデス投手は元同僚・小林誠司捕手の姿を見つけると、茶目っ気たっぷりに何度も呼びかけて再会を喜んだ。
昨季まで5年間在籍したジャイアンツでは通算29勝。今季から加入したマリーンズでは、序盤こそ白星に恵まれなかったが、5月14日の日本ハムファイターズ戦で移籍後初勝利。6月の交流戦でも2勝をあげるなど、先発ローテーションの一角として白星を重ねている。
そんなメルセデスの来日のきっかけは、2016年オフの母国・ドミニカ共和国で行われたジャイアンツのトライアウトだった。「会場には本当にたくさんの選手がいたよ。正直、ここから選ばれるのは大変な事だと思っていた」と懐かしそうに振り返る。
「ジャイアンツのトライアウトを受けたとき、もしこれでダメだったら、野球はやめようと思っていた。それ以前に沢山のトライアウトを受けた。そのたびに同じような気持ちだったけどね」
リゾートの街、自宅の前に野球場
ドミニカ共和国のラ・ロマーナ出身。海沿いのリゾート地で多くの別荘が並ぶ場所だ。
元々、自宅の目の前に野球場があったことから自然と野球を始めた。地元出身のメジャーリーガーとしては、MLB通算424本塁打のエドウィン・エンカーナシオンがいる。憧れていたのは投手ではランディ・ジョンソン投手、野手ではマニー・ラミレス。そんな人たちがプレーした夢の舞台・アメリカでチャンスを掴もうと色々な事にチャレンジした。利き腕ではない右で投げたこともあった。野手にもチャレンジし、色々なポジションにも取り組んだ。キャッチャーをしたこともある。それほど貪欲に夢を追いかけた。
そんな努力が報われ、タンパベイ・レイズに才能を見込まれたメルセデスは2012年からアメリカに渡った。最初はルーキーリーグ。慣れない異国の生活は戸惑いの連続だった。