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J開幕みんなマネした「飛行機ポーズFW」は今…「ブラジルでカズと仲が良かった縁で」来日→愛されたトニーニョ58歳に直撃 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byJ.LEAGUE

posted2023/06/18 17:00

J開幕みんなマネした「飛行機ポーズFW」は今…「ブラジルでカズと仲が良かった縁で」来日→愛されたトニーニョ58歳に直撃<Number Web> photograph by J.LEAGUE

子供たち誰もがマネした、清水時代のトニーニョの飛行機ポーズ。今は何をしているのだろうか?

「ブラジル代表クラスの選手がゴロゴロいて、非常にレベルが高かった。でも、僕はすぐにレギュラーで使ってもらえ、チームは1985年のサンパウロ州選手権決勝でブラジル代表のカレッカ、ミューレルらがいたサンパウロFCに惜敗したものの準優勝した。

 1989年には、サンパウロ州選手権で13得点をあげて得点王になった。この年、セレソン(ブラジル代表)に初招集された。両親が涙を流して喜び、兄弟、親戚、友人も大騒ぎ。天にも昇る気持ちだった」
(注:3月15日、トニーニョはブラジル国内で行なわれたエクアドルとの強化試合に先発出場し、後半途中までプレーした)

弟はバルサにもいたソニー・アンデルソンだけど…

――ただし、その後、セレソンに招集されることはなく、1990年のワールドカップ出場もかないませんでした。

「当時、僕は24歳で、キャリアのピークを迎えつつあった。その後も、引き続き、セレソンに選ばれてもおかしくなかったと思う。でも、ブラジルの選手層は世界一厚いし、監督の好みもあるから、実力があっても招集されない選手は大勢いる。栄光のカナリア色のユニフォームをまとって1試合出場しただけでも、僕にとって大きな勲章だ」

――弟のソニー・アンデルソンは、欧州ビッグクラブでプレーし、やはりセレソンに招集されました。自分と彼のプレースタイルの違いをどう考えますか?

「弟は、スピードとパワーがある。でも、テクニックは僕の方が上だったんじゃないかな」

サントスのカズは非常に危険な選手になっていた

――その後、カズは別のクラブを渡り歩いて経験を積み、1989年、キンゼ・デ・ジャウーとプロ契約を結んだ。そのときチームのエースストライカーだったのが、ソニー・アンデルソンでした。この年3月、サンパウロ州選手権のコリンチャンス戦でカズがプロ初ゴール。この試合で、ソニー・アンデルソンも得点をあげました。

「1点目を決めたのがカズで、2点目は弟が決めた。(注:キンゼ・デ・ジャウーが3-2で勝利)。名門中の名門を倒して大金星をあげ、街中が大騒ぎになった。僕たち兄弟は、カズと深い縁があるんだ」

――カズとは、1990年4月、あなたがポルトゲーザ、カズがサントスに在籍していたときにサンパウロ州選手権で対戦していますね。

「サントスのホームスタジアムでの試合で、二人ともフル出場。カズは、非常に危険な選手になっていた。試合の結果は、0-0の引き分け。試合後、彼と抱き合ってお互いの健闘を称え合ったのを覚えている」

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