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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
J開幕みんなマネした「飛行機ポーズFW」は今…「ブラジルでカズと仲が良かった縁で」来日→愛されたトニーニョ58歳に直撃
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/06/18 17:00
子供たち誰もがマネした、清水時代のトニーニョの飛行機ポーズ。今は何をしているのだろうか?
「右利きだけど、左足でも全く同じように蹴ることができた。こういう選手は、ブラジルでは珍しい。よほど練習したんだろうな。左右のウイングができたけど、主に左ウイング。スピードがあり、細かいボールタッチと跨ぎフェイントでマーカーを翻弄していた。プレースタイルは完全にブラジル人のそれで、『日本人でもこんなプレーができるのか』と驚いた。
当時、日本はワールドカップ(W杯)に一度も出場しておらず、プロリーグすらなかった。多くのブラジル人は日本人にフットボールができるとは思っていなかった。日本人がユニフォームを着てボールを蹴っているのを見て、笑い出す人もいた」
――フットボール王国ブラジルで、カズはそのような偏見とも戦いながら厳しい修行を続けたのですね。
「その通り。日本のフットボールが全く評価されていなかったから、日本人がブラジル人顔負けの華麗なプレーをすることに、みんな驚いていた。誰かが『まるで(ブラジルの伝説の右ウイング)ガリンシャのようだ』と言い出し、やがて『ガリンシャ・ジャポネス』(日本のガリンシャ)と呼ばれるようになった。
わずか15歳で地球の反対側のブラジルへやってきて、『何が何でもプロになるんだ』という強い気持ちを持って、がむしゃらに練習していた。大したものだな、といつも感心していた」
ブラジル代表に呼ばれて天にも昇る気持ちに
――あなたとカズは、U-20の試合に一緒に出場したこともあるのでしょうか?
「1984年後半、U-20では僕がCFのレギュラーでカズは左ウイングの控えだった。1985年1月、僕はポルトゲーザというサンパウロのクラブへ移籍が決まったんだけど、その置き土産としてタッサ・サンパウロ(サンパウロ・カップ。アマチュアのU-20の全国大会)に出場した。カズも、この大会に選手登録された。
最初の試合に僕は先発してカズはベンチだったが、チームは0-3で敗戦した。すると、監督は次の試合でメンバーを大幅に入れ替え、カズを先発で起用した。彼はドリブルでサイドをひきちぎってクロスを入れ、それを僕が決めて先制。その後も2人で攻撃の中心を担い、3-0で快勝した。グループステージ最後の試合にも2人揃って先発したんだけど、この試合は敗れてしまった」
――ポルトゲーザは、ポルトガル人移民がサンパウロに設立した伝統クラブ。当時、サンパウロ州はもとより国内有数の強豪でした。