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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
J開幕みんなマネした「飛行機ポーズFW」は今…「ブラジルでカズと仲が良かった縁で」来日→愛されたトニーニョ58歳に直撃
posted2023/06/18 17:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
J.LEAGUE
大柄でパワフル。DFとの駆け引きを制してスペースへ抜け出し、あるいはタイミング良くゴール前へ飛び込んで、豪快なシュートを叩き込んだ。その一方で、繊細なテクニックも備え、トリッキーなゴールを決めてファンを熱狂させた。
若手時代には、ブラジルへ修行にやってきた2歳年下のカズ(三浦知良)と切磋琢磨した。1989年のサンパウロ州選手権で得点王に輝き、ブラジル代表にも招集された。
1991年7月、読売クラブへ移籍してカズと再会。まだアマチュアだった日本サッカーリーグの最後の得点王に輝いた。清水エスパルスへ移って1993年のJリーグ開幕に加わり、ゴールを決めた際の「飛行機ポーズ」がトレードマークになり(日本の多くの子供たちもマネをした)、1996年までJリーグを大いに盛り上げた。
そのトニーニョも、すでに58歳。現在はサンパウロ州の地方都市に住み、若手選手を発掘する仕事に携わる。彼の自宅を訪ね、カズと過ごした若き日々、Jリーグ開幕前後の記憶、そして現在の日本のフットボールへの思いなどについて話を聞いた。
10代にしてブラジルでカズと出会っていた
――フットボール一家に育ったそうですね。
「父親は、コリンチャンスなどでMFとしてプレーした元プロ選手。現役引退後は色々なクラブの監督を務めたから、クラブを替わる度に引っ越しさ(笑)。僕は5人兄弟の次男で、幼い頃からフットボールが身近にあった。5歳下のソニー・アンデルソン(注:モナコ、バルセロナ、リヨンなどでCFとして活躍し、ブラジル代表でもプレー)も、僕たち兄の姿を見て育った」
――プロ選手になるまでの道のりは?
「父親が監督を務めたクラブで、いつもボールを蹴っていた。1982年、17歳でキンゼ・デ・ジャウーのU-20の入団テストを受けて合格し、U-20とトップチームの練習にかけもちで参加する日々が始まった」
――その頃、カズ(三浦知良)と出会ったそうですね。
「1984年後半、カズ(当時17歳)がU-20に入ってきた。当初はまだポルトガル語がうまく話せず、口数が少なかった。でも、驚くほど練習熱心。チーム練習が終わると、必ず居残ってドリブルやシュートの個人練習をしていた。僕も早く一人前のプロになりたいと思っていたので、ある日、『一緒に練習しようぜ』と声をかけた。
彼がタッチライン沿いをドリブルで駆け上がり、クロスを入れる。僕がゴール前へ走り込んで、両足と頭でシュートを放つ……。チーム練習の後、2人で特訓をするのが日課になった。この練習のお陰で、彼も僕も選手として成功できたんじゃないかな」
大したものだな、といつも感心していた
――当時、カズはどんな選手でしたか?