プロ野球PRESSBACK NUMBER
83歳の中西太が奏でた“忘れられないスイング音”…怪童と呼ばれた大打者の知られざる伝説「バットを構えると、とたんに変身してしまう」
text by
安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/05/23 11:01
現役引退後の中西太(1971年撮影)。数々の伝説を残した「怪童」は、指導者としても多くの強打者を育て上げた名伯楽だった
85歳でノーバン投球も「本番に強いやろ」
中西さんは高校野球にも「恩返し」をしている。2008年の第90回全国高校野球選手権記念大会で、開会式前のキャッチボールイベントに参加してくれたのだ。当時75歳は「甲子園レジェンズ」11人の最高齢だった。
「この年寄りに、まだお役に立てることがあるかね?」
電話で協力を依頼した時のやりとりも鮮明に覚えている。
「わしは高校野球に育ててもらった。喜んで行かせてもらうよ」
二つ返事で引き受けてくれた。
当日は、高松一の当時のユニホームを復刻して着用した。
「ここ20年の中で、わしの一番の快挙だよ。甲子園に出た時のことを思い出したし、友だちも喜んでくれた。若い人も喜んでくれた。もう死んでもいい。感謝だよ」
さらに、その10年後の2018年に開催された第100回全国高校野球選手権記念大会では、「甲子園レジェンド始球式」に登板してもらった。当時85歳は、もちろん最高齢だ。
当日の朝、阪神甲子園球場の一塁側室内ブルペン。ウォーミングアップをしていると、同年齢の吉田義男さん(元阪神監督)が激励に駆け付けた。
「太(ふと)っさん、がんばってや」
中西さんが甲子園のマウンドから投じた一球は、きれいな弧を描いて捕手のミットに収まった。
「本番に強いやろ。練習では1球も届かんかったからな」
そう言って、ニヤリと笑った。
「長くコーチをしとったから、特打する選手に付き合って、わしもよう投げとったからな。慣れとるんだよ」
始球式後の取材対応を終えたころ、「中西さんに会いたくて奈良県から来た」という女性がいると連絡が入った。西宮市立西宮高校の卒業生で、第33回大会(1951年)の開会式で高松一のプラカードを持ち、中西主将の前を歩いたという。
特別に受付を通してもらい、67年ぶりの再会が実現した。
「これはこれは、お久しぶりです。元気で長生きしましょうね」
中西さんは女性に温かく声をかけ、にこやかに記念の写真撮影に応じた。
あれから5年。90歳での旅立ちとなった。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。