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「20歳でトリプルスリー+二冠王4回」昭和の天才打者・中西太と毒島章一の濃すぎる大記録「なぜ2000安打直前で引退?」〈追悼〉
posted2023/05/19 17:22
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
JIJI PRESS
「日本ハムファイターズ初代監督の中西太さんが逝去されました。謹んで哀悼の意を表し、黙とういたします」
平日のデーゲームながら 2万4580人の観客でにぎわっていたエスコンフィールド北海道の巨大なLEDビジョンに、90歳でこの世から去った中西太の在りし日の姿が大写しになった。
ファンは一斉に立ち上がって頭を垂れた。この日の対戦相手は西武ライオンズ。中西太は、前身である西鉄ライオンズの最強打者でもあった。
しかし、黙とうしている両軍のファンたちは、中西太についてどこまで知っていたのだろう――という思いが浮かぶほど、月日は経った。
1950年代の最強打者だったことが分かる成績
中西太は野村克也、長嶋茂雄より2学年年上、1952年に西鉄ライオンズに入団し1年目から新人王を獲得したが、彼が中軸打者として活躍したのはわずか7シーズン。最後に規定打席に到達したのは65年前の1958年、中西の全盛期をオンタイムで知る人は少なくとも70代半ばになっているだろう。
しかし中西は1950年代の最強打者だったのは間違いない。1953~58年のパ・リーグの本塁打、打点、打率の打撃三冠タイトル争いと中西の成績。
〈1953年〉
本塁打 中西太(西鉄)36本 豊田泰光(西鉄)27本
打点 中西太(西鉄)86 岡本伊三美(南海)77
打率 岡本伊三美(南海).318 中西太(西鉄).314
〈1954年〉
本塁打 中西太(西鉄)31本 山内和弘(毎日)28本
打点 山内和弘(毎日)97 5位中西太(西鉄)82
打率 レインズ(阪急).337 7位中西太(西鉄).296
〈1955年〉
本塁打 中西太(西鉄)35本 山内和弘(毎日)26本
打点 山内和弘(毎日)99 中西太(西鉄)98
打率 中西太(西鉄).332 山内和弘(毎日).325
〈1956年〉
本塁打 中西太(西鉄)29本 山内和弘(毎日)25本
打点 中西太(西鉄)95 杉山光平(南海)93
打率 豊田泰光(西鉄).3251 中西太(西鉄).3246
〈1957年〉
本塁打 野村克也(南海)30本 3位中西太(西鉄)24本
打点 中西太(西鉄)100 野村克也(南海)94
打率 山内和弘(毎日).331 中西太(西鉄).317
〈1958年〉
本塁打 中西太(西鉄)23本 葛城隆雄(大毎)20本
打点 葛城隆雄(大毎)85 中西太(西鉄)84
打率 中西太(西鉄).314 毒島章一(東映).306
20歳で打率.314、36本塁打36盗塁のトリプルスリー
6年で打撃2冠を4度獲得。1953年は4厘差で打率2位、1955年は1点差で打点2位、1956年は4毛差で打率2位、1958年は1点差で打点2位で、それぞれ三冠王を逸している。