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「タバコは5歳で覚えた」「全寮制の矯正施設に」ベーブ・ルースの超悪ガキ伝説…それでもアメリカ球団が“練習を30分だけ見て”獲得した話 

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AKI猪瀬

AKI猪瀬Aki Inose

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posted2023/05/14 11:01

「タバコは5歳で覚えた」「全寮制の矯正施設に」ベーブ・ルースの超悪ガキ伝説…それでもアメリカ球団が“練習を30分だけ見て”獲得した話<Number Web> photograph by Getty Images

レッドソックス時代のベーブ・ルース。全寮制の矯正施設で育った“悪ガキ”は、いかにして伝説の野球選手になったのか?

メジャーリーグ・レッドソックスへ移籍

 1914年3月、オリオールズの一員として、ノースカロライナ州で行なわれるスプリングトレーニングに向かう汽車に乗り込んだルース。このときが人生で初めてボルチモアの外に出た瞬間だった。

 1914年3月7日、親善試合で遊撃手としてプロ初出場を果たしたルースは、第2打席にプロ野球人生初の本塁打を記録。そして、最終2イニングは投手として登板した。

 ベーブ・ルースがプロ野球人生を始めたこの時代は、通称「デッドボール時代」と呼ばれている。1900年から19年までは、アメリカ国産の野球ボールの質が悪く、試合途中にボールの縫い目が緩んだり、形が変形したりすることはもちろん、土や泥、唾や嚙みタバコの汁などで汚されていくボールは真っ黒に変色。野球のボールが高価だったこともあり、それでも同じボールを使い続けていた時代だ。また、球場もセンター後方まで170メートルあった当時のカブスの本拠地ウエストサイド・グラウンドや、同じく194メートルあった当時のレッドソックスの本拠地ハンティントンアベニュー・グラウンズなど、120メートルほどが一般的な現代では想像すらできない巨大な球場も存在していた。そのため、本塁打が記録されることはほとんどなかった。

 1914年、プロ1年目をマイナーリーグのオリオールズでむかえたルースは、投手として勝ち星を積み上げ、35登板で22勝を記録。打者では46試合に出場して1本塁打。資金繰りに苦しんでいたオリオールズのオーナー、ダンは、メジャーリーグのチームにルースを売ることを決断する。ジャイアンツやレッズとの交渉は決裂したが、14年7月4日にレッドソックスと交渉が成立した。シーズン途中にチームに合流したルースは、投手として4登板2勝1敗、打者として5試合に出場して0本塁打でプロ1年目が終了した。

<続く>

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#4に続く
バットを切断される嫌がらせを“無視”…ベーブ・ルース「伝説の投球」から2年、なぜ野手で起用されたのか? 知られざる「戦争の事情」

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