Jをめぐる冒険BACK NUMBER
「俺、大丈夫か?」パリ世代・鈴木唯人がフランスで続ける自問自答「市船、エスパルスのときもそう。だから、ストラスブールでも一番に」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAFP/JIJI PRESS
posted2023/04/25 11:02
ストラスブールで「デビュー戦初ゴール」をマークした鈴木唯人。パリ世代の中軸として成長を続けている
「たしかに、あのときは凄かったですね。グイグイ行けていた。生き生きとプレーしてました。代表合宿があったから他の選手たちよりも体が動いたっていう面もあったかもしれないですけど、シーズンの最初はその感覚のままやれて。ただ、人間って慣れていく生き物なんだなって。だんだんチームの調子も悪くなってきて勝てないし、その中で自分は何をすればいいのかって思い始めて。そんな頃に、アジアカップが来て……」
強い覚悟で臨めば、大舞台でもこれくらいできる
22年6月にウズベキスタンで開催されたU23アジアカップは、24年のパリ五輪を目指すU-21日本代表にとって格好の腕試しの機会だった。
参加チームのほとんどが2歳上の23歳以下のチームだったが、日本はUAEや韓国、オーストラリアを下して3位に輝く。鈴木も3ゴールをマークし、エースに相応しい働きを見せた。
なかでも圧巻だったのが準々決勝の韓国戦である。2ゴールを含む全3得点に絡む活躍で、ライバルを蹴散らしたのだ。
「自分は、あの大会に懸けていたんです。ここで活躍したら、海外から声が掛かるんじゃないかって。だから毎試合、心臓がバクバクでした。緊張ではなく、たぎっているような感覚。今思えば、スカウトがどれだけあの大会に注目していたのか分からないですけど、あのときはターニングポイントにしたいと思っていて。強い覚悟で臨めば、大舞台でもこれくらいできるんだなって」
この大会を経て鈴木は大岩ジャパンの攻撃の軸としての地位を確立した。しかし、それと引き換えに支払うことになった代償は、小さくなかった。
約2カ月間の戦線離脱――。
オーストラリアとの3位決定戦で負ったケガが、思いのほか重かったのだ。
それはストラスブールで繰り返しちゃダメだなと
悪いことは重なるもので、鈴木を重用してきた平岡監督が代表活動中に解任され、ブラジル人のゼ・リカルド監督が新たに就任。鈴木が復帰した頃にはメンバーが固まっており、残留争いのなかでチャンスはなかなか巡ってこない。