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驚きの日本代表選出「スタメンで出てない選手が…いいのか?」大関友翔20歳が森保監督に聞いた“本当の評価”…「中村憲剛に憧れた少年」15年の成長秘話
posted2025/09/25 11:35
川崎フロンターレの大関友翔。20歳の若さで日本代表にたどり着いたMFの“ルーツ”とは
text by

いしかわごうGo Ishikawa
photograph by
Shigeki Yamamoto
15年前、中村憲剛を知った等々力の夜
遠い日の夜のことをはっきりと覚えている。
2010年4月14日、川崎フロンターレの本拠地である等々力陸上競技場でAFCチャンピオンズリーグのグループステージ第5節が行われていた。対戦相手は韓国のクラブである城南一和。
当時5歳の大関友翔は、ゴール裏で観戦していた。
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川崎生まれ、それも練習場がある麻生グラウンドに近い地域で育った少年は、兄とともに生粋のフロンターレサポーターだ。ゴールシーンが大好きで、2009年の全ゴール集のDVDを繰り返し観るうちに、すべてのゴールを覚えてしまった。当時活躍していたジュニーニョやレナチーニョ、鄭大世といったFWたちに熱い視線を送る子どもだった。
2対0でリードしていた66分、川崎は2人同時の選手交代を行っている。交代ボードが掲げられると、ヴィトール・ジュニオールと並んでタッチラインに立っていた選手の存在に、等々力の熱気が一気に高まった。
中村憲剛だった。
2月に負った顎の骨折からのリハビリを経て、50日ぶりにピッチに戻ってきたのである。6月には南アフリカW杯が控えており、そのメンバー発表も差し迫っていた時期で、サポーターが心から待ち望んでいた復活劇だった。
背番号と選手名を告げる力強いアナウンスと呼応するように、割れんばかりの大歓声と拍手がスタンドのあらゆる方向から注がれていく。たった1人の選手が、スタジアム全体の雰囲気をこれだけ変えてしまうという事実に少年は衝撃を受けた。
「なんだ、この人は?」
投入直後、中盤でボールを拾った中村憲剛が、相手最終ライン裏にあるスペースへ絶妙なパスを通す。反応した黒津勝が相手に倒されてPKを獲得し、これをレナチーニョが成功させて、川崎が勝利を引き寄せる3点目をあげた。
「ケンゴ、すげぇ……」
思わず、そう呟いていた。
5歳の大関少年の脳裏に、忘れがたい記憶が刻まれた等々力の夜となった。

