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なぜ大学進学を辞めてドイツに渡ったのか…内野貴史の背中を押した“オシムの教え子”「申し訳ないと思っていたら…」〈パリ世代インタビュー〉

posted2023/05/24 17:00

 
なぜ大学進学を辞めてドイツに渡ったのか…内野貴史の背中を押した“オシムの教え子”「申し訳ないと思っていたら…」〈パリ世代インタビュー〉<Number Web> photograph by Atsushi Iio

インタビューに応じてくれたデュッセルドルフの内野貴史

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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Atsushi Iio

 パリ五輪世代連続インタビュー。今回はドイツのデュッセルドルフに所属する内野貴史に話を聞いた。高校卒業後に即ヨーロッパに渡り、研鑽に励む22歳のサイドバックはいかにして大岩剛監督率いる世代別代表とクラブで存在感を放とうとしているのか。《全2回の1回目/後編につづく》

 高校卒業とともにドイツに渡り、この地でプロ契約を掴み取った内野貴史にとって、3月24日にフランクフルトで行われたU-22ドイツ代表戦は特別なゲームだった。

「ドイツでドイツ代表と対戦できるなんて、滅多にないことじゃないですか。その情報を知ったときから、この試合には絶対に出たいなって。そう思いながら、フォルトゥナ(デュッセルドルフ)で練習していました」

 望みどおり代表メンバーに選ばれ、願いどおりスタメンに指名された。気合いは自ずと高まってくる。

ドイツの中心選手から「覚えているよ」と

 すでに熱くたぎるような内野の気持ちを、さらに燃え上がらせる出来事があった。

 試合前、ドイツ代表の中心選手であるアンスガー・クナウフから「覚えているよ」といった感じで声を掛けられたのだ。

 フランクフルトに所属するクナウフは、かつてドルトムントU-19、ドルトムントII(U-23)でプレーしており、内野とは2シーズンにわたって4度対戦した間柄だった。

「彼とはU-19リーグでも、U-23リーグでも対戦していて。彼は左ウイング、僕は右サイドバックとしてマッチアップして、その当時は、全然やれるなっていう感触でした」

 その後、クナウフはドルトムントのトップチームに昇格し、2021年4月にはチャンピオンズリーグにも出場。22年1月にフランクフルトに期限付き移籍をして、現在は長谷部誠や鎌田大地のチームメイトとしてプレーしている。

 一方の内野も、デューレンU-19からアレマニア・アーヘンU-19、アーヘンのトップチームからデュッセルドルフII、そしてトップチーム昇格と、激しいサバイバルを勝ち抜いてきた。

 そんなふたりが、代表活動の場で再び顔を合わせたのである――。

なぜ大学進学ではなく、ドイツだったのか

 ジェフユナイテッド市原・千葉U-18からトップチームへの昇格が叶わなかった当時17歳の内野が進んだのは、海外でプロになるという道だった。

 なぜ、大学進学ではなかったのか。

 なぜ、ドイツだったのか。

「もともとプロになりたい、日本代表になりたいと思っていて。ジェフユース時代も、全然やれるわ、と思っていたんですよね。サイドバックでしたけど、シーズンを通して5点くらい取っていて。ただ、あまり評価されなくて、トップには上がれなかった。なんでだろう、何が足りないんだろう、って思いながら過ごしていたんです」

 トップ昇格を逃してもなお、プロへの夢を追い続けるJクラブのアカデミー出身者の大半がそうであるように、内野も当初は大学で力をつけて、4年後のプロ入りを目指すことを考えていた。

 実際、日本体育大学の練習にも参加していた。

 だが、サッカー選手としての自分に向き合えば向き合うほど、その進路に疑念を抱くようになる。

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