水沼貴史のNice Middle!BACK NUMBER
1985年にもあった異例の日本代表戦…水沼貴史が「凄くやりにくかった」と思い出す“ラモス・松木・都並がいた読売クラブ戦”、その結果は?
posted2021/06/11 11:00
text by
水沼貴史Takashi Mizunuma
photograph by
Kazuhito Yamada
カタールW杯予選に臨む日本代表、そして東京五輪を控えるU-24日本代表の強化試合、さらにはなでしこジャパンの試合が続くなど、まさに“代表ウィーク”真っ只中ですね。
このご時世ですから活動する選手たちはもちろん、それを支えるスタッフや関係者はとても大変な苦労をされているかと思います。試合の感想を述べるだけでなく、まずは開催に尽力する方々にしっかりと感謝したいです。
そんな非常事態を象徴していたのが、6月3日に行われた「日本代表vs.U-24日本代表」です。日本代表と札幌でテストマッチを行うはずだったジャマイカ代表の一部選手が来日できず、福岡遠征を控えていたU-24日本代表チームが急遽、北海道へ移動することに。“兄弟対決”は予期せぬ形で実現しました。
本来であれば、受ける側にあたる“兄貴”の日本代表が難しいメンタリティになるはずですが、この試合はU-24日本代表の選手たちにとって難しい試合となってしまいました。急に開催が決まったこと、飛行機での移動はもちろん、この試合は、出場機会が少なかった選手たちのテストの意味合いもありました。どんな状況でもガツガツやらなければいけないと全員が理解していたはずですが、同じ日本人同士の対決でしたから、気持ちのどこかにみんな「やりにくさ」を感じていたのではないでしょうか。
その反面、日本代表はこの日のジャマイカ戦に向けて調整していたこともあり、割り切ってやれていた印象を受けました。U-24日本代表にとっては早い時間帯で先制されたことも痛手でしたね。
そんな「やりにくさ」で思い出したのが、1985年5月に行われたキリンカップサッカーです。