- #1
- #2
欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
「ウチでは獲れません」古橋亨梧は何度も涙した…中央大恩師が明かす“プロ入り秘話”、獲得したJ2監督「本当にどこも獲ろうとしなかったんですか?」
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph byMATSUO.K/AFLO SPORT
posted2023/04/09 11:07
J2のFC岐阜からプロ生活をスタートさせた古橋。そのプロ入りまでの道のりは平坦なものではなかった
佐藤の目から見ても、本来のスプリント力とハードワークする姿勢が戻ってきた。中大では3年生の後半になると、佐藤が各選手と面談して進路について話し合う場が設けられる。選手自身がプロ志望であっても、佐藤が難しいとジャッジすれば、はっきり「無理だ」と伝えてきた。ただし、古橋の場合は改めて話し合う必要はなかった。ある日の練習後、佐藤は古橋との世間話の合間に、軽く確認した。
「お前との面談は、やらなくていいわ。プロ、行くんだろ?」
古橋は、力強く頷いた。佐藤にとっては予想どおりのリアクションだった。
J2ならばどこかには行けるだろう
「J1クラブは微妙かもしれないけど、J2ならばどこかには行けるだろうと思っていました。人一倍、プロ入りへの思いも強かったですからね。むしろ、亨梧の能力があれば“プロに行けないわけねえだろう”って思っていましたよ」
実際、2年生の頃から古橋のプロ入りは現実味を帯びていた。湘南ベルマーレの練習に頻繁に参加し、関係者が中大のグラウンドへ視察に来ることもあった。佐藤も手応えを感じていた。
「当時のチョウ・キジェ監督のサッカーに亨梧のスタイルは合うと思っていたし、『おもしろい選手ですね』って言われていたんです。でも、3年になってだんだんと雲行きが怪しくなってきて……最終的に『ウチでは獲れません』という電話がかかってきました」
当時の中大はパサータイプの先輩が卒業し、ディフェンスの背後に動き出す古橋にボールを届ける選手が欠けていた。必然的に古橋は単独で強引にドリブルを仕掛けるプレーが増えていた。1人、2人はかわせるものの、それを続けていれば相手の警戒も強まり、ボールを失う場面が増えた。
佐藤にはプロでも通用するという確信があった
「それが自分勝手なプレーに映ったのかもしれない。プロとしてやっていくためには、物足りないと判断されたのかな」
それでも佐藤は悲観していなかった。プロでも通用するという確信があった。だから、その後も古橋を次々とJ2の5クラブに練習参加させた。その間、あるJ1クラブとの練習試合でDFを何度も抜き去り、相手のチーム関係者を驚かせたこともある。
ところが、高い評価は得るものの吉報は届かなかった。あるクラブからは財政面を理由に、あるクラブはポジションとタイプが所属選手と重なるという理由で加入を断られた。
もうダメですかね。プロは無理ですかね
獲得見送りの連絡が入るたびに、佐藤はそれを本人に伝えた。いつも古橋は泣いていた。