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「スペインを破ったのだから、日本はもう強豪だよ」闘将プジョルが日本サッカーに金言「“遊び”と“競争”があればもっと伸びる」
posted2023/02/16 17:03
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph by
Takuya Sugiyama
「ディフェンダーとして最も大切にしてきたことは、観察力と先を予測する力。私の経験でいえる限りは、この言葉が最も適切だね」
クラブ史に残るカピタン(主将)として、クレ(サポーター)に最も愛されたとも評される男は、静かに、それでいて熱い口調で語りかける。
華麗なパス回しにアイデアに富んだフィニッシュワーク――古くはリバウドやロナウジーニョ、10年代にはメッシやシャビ、イニエスタなどのクラックが奏でるエレガントなスタイルで欧州を席巻した全盛期のバルセロナ。そんな中で、一人、毛色の違うDFがいた。元スペイン代表、カルレス・プジョル。4月に45歳を迎える。
最終ラインの門番としてピッチ上では誰よりも泥臭く汗をかき、チームに熱を産む。圧倒的な対人の強さの反面、時折、足元にはおぼつかなさもあった。決して完璧ではないが、その人間らしいプレースタイルとひたむきさゆえ、世界中のフットボールファンの心を打った。
1月上旬、今なお、バルセロナで絶大な人気を誇る元キャプテンは、千葉県のグラウンドで日本の子どもたちと共に汗を流し、サッカー少年と指導者へ向けた言葉を送っていた。プジョルが明かす自身のルーツ、DF論、メンタルコントロールの重要性に耳を傾けると、そこには日本サッカー界にも役立つであろう貴重な提言がちりばめられていた。
「今日の練習で全力を尽くしたか?」
プジョルといえば、独特のカーリーヘアを靡かせチームを鼓舞する姿から、母国では「ターザン」の愛称でも親しまれ、いかなる時も闘志あふれる全力プレーが印象深い選手だった。このスタイルはカテゴリーや年代が変わろうが、不変だった。その理由を紐解くと、幼き頃に父から受けた言葉をずっと胸に秘め、ピッチに立ち続けたことの影響が大きい。
「サッカーを始めてから、父から厳しく言い聞かされていたことがある。家のドアを叩く際、その日の練習で全力を尽くしたか考えろ、とね。もし十分やったのなら家に帰ってきてよい。もし全てを出していないならば、どこか別の場所に泊まってくれということだ。その言葉があったから、私はいかなる時も家を出た瞬間から全てを楽しみ、トレーニングで結果を残したいと考えるようになれた。手を抜くという発想は一切ない。周りからは、『もう十分だよ』と散々言われたが、私にとっては毎日納得するまで“やり続ける”ことが大切だったんだ」
生まれ育ったのは、カタルーニャ洲のラ・ポブラ・デ・セグール。州都から200キロ離れたこの地は、人口3000人程度の小さな町である。牧場を経営する父は、愛息のサッカー選手としての才能に懐疑的な目線を持っていた時期もあったという。それでも少年は、父の教えを忘れずサッカーにのめり込むことで頭角を現す。
地元の町クラブでの噂はすぐにバルセロナにまで広がり、17歳でFCバルセロナのカンテラに入団した。だが、プジョルは「上のカテゴリーに上がれないのでは、と毎年不安になるほど厳しい競争があった」と当時を振り返る。