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「スペインを破ったのだから、日本はもう強豪だよ」闘将プジョルが日本サッカーに金言「“遊び”と“競争”があればもっと伸びる」
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byTakuya Sugiyama
posted2023/02/16 17:03
「バルセロナの魂」とも呼ばれたカルレス・プジョル。1月上旬に来日した際に、自身のルーツについて語ってくれた
「私は小さな田舎町の、決して裕福ではない家庭で生まれ育った。毎日道端で友だちとボールを蹴り、技術を伸ばした。私の原点はストリートにあるんだ。正直、バルセロナのような大きな街に適応し、競争に勝っていくことは大変だったよ。ただ、どんな環境に移っても『たとえ小さな試合であれ勝ち続けたい』という思いだけは、強く持っていたという自負がある。W杯の日本戦を観て、子どもたちとも直接接して思うのは、日本サッカーにもそういったストリートの“遊び”の要素と競争力が高まれば、もっともっと伸びてくるんじゃないかなということだ」
後にDFとして歴代2位となる593試合の公式戦に出場。ラ・リーガ6回、チャンピオンズリーグ3回にワールドカップ制覇、実に21ものメジャータイトルを獲得したプジョルだが、トップチームデビューは21歳と遅かった。技術は名門の下部組織の中に入ればせいぜい並。独特なパス回しに適応するのも時間を要した。身長は178cmと、圧倒的な身体能力があったわけでもない。
それでも、名将ルイス・ファンハールはプジョルの並外れた精神力を見抜いていた。
クラシコで“憎きフィーゴ”を完封
サイドバックで重用するようになると、エル・クラシコではバルセロナからレアル・マドリーへ禁断の移籍をした当時世界最高のドリブラーであるルイス・フィーゴを完封し、一気にサポーターたちの心を奪った。プジョルは、自身の才能についてこんな表現を用いる。
「どんな困難な環境であれ、とにかく楽しめる、というのは自分が秀でていた部分だと思う。トップチームのクラシコだろうと、小さな町クラブの試合だろうとそれは変わらない。常にプレッシャーのかかる環境に身を置けたことは、成功に繋がる上で大事なことだったんだ」