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野球クロスロードBACK NUMBER
元中日・平田良介は「落合博満に救われた」…たった一つの“助言”とは? 現役引退の報告は「何度か電話かけてるんですけど…」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2023/02/01 11:01
昨年末に現役引退を発表した平田良介。名将・落合博満とのエピソードを、Number Webのインタビューで語ってもらった
「『8』のままじゃ、平田に運が向いてこないと思ったんだよ。だから変えてやったんだ。変えてよかっただろ?」
前回WBCにも選出されて…
落合に素質を見出され、役割の必要性を理解し、そして選手として開花した。主力となった平田は、ホームランバッターでないと自覚していても「狙う打席もあった」と言えるまでに、バッティングの練度を高めていた。
そのことを物語るエピソードがある。
13年9月。下位に沈んだ中日にとって、この時期は試合を消化するだけとなっていた。そんなある日のミーティングでのことだ。コーチが「ピッチャーのデータが必要なやつはいるか?」と尋ねると、平田だけが挙手した。この年限りで現役引退を表明していたプロ27年目の山﨑武司が、「心の中で拍手を贈った」のだと話していたことがあった。
「俺も楽天で、野村(克也)監督から頭を使うことの大切さを学んで生き返った。平田も『やっとそこに気づいたか!』って嬉しくなったし、『これから頑張れよ』と思えたね」
打率2割9分、15ホームランと当時のキャリアハイの成績を残した平田は、翌14年にベテランの井端弘和がトレードで巨人へ移籍したことにより、背番号を「6」に変更した。それは、自分を育ててくれた落合が中日時代に背負っていた番号でもあった。
その後の平田は、15年にプレミア12、17年にはWBCで侍ジャパンに選ばれた。「日本を代表するバッター」。そう表現したとしても、疑う人間は誰もいなくなった。
恩師・落合には「どっかで直接言われへんかな?」
中日では落合のほか高木守道、谷繁元信、森繁和、与田剛、立浪和義と、6人もの監督に仕えてきたが、平田にとってプロ野球の「恩師」と呼べるのは落合なのだという。
「特別ああだこうだ言われた記憶はないんです。でも、落合監督だったからこそ経験できたことが多かったですし、プロで役割の大切さを覚えることができてよかったです」
恩師への感謝を述べた平田が、頭を掻く。
実は引退を表明してから、落合にまだ報告できていないそうなのだ。
「落合さん多分、自分のスマホに登録してない番号からは着信がこない設定にしてるんですよ。僕、何度か電話かけてるんですけど、いっつも通話中みたいになるんで。どうしよう……どっかで直接言われへんかな?」
微力ながら、この記事で伝えますか? そう向けると、平田は「ははは。自分で何とかしてみます」と笑った。
申し訳なさそうにやや顔をこわばらせながらも、「どう感謝を伝えようか?」とそれまでの時間を楽しんでいるようでもあった。
〈後編へつづく〉
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。