野球クロスロードBACK NUMBER

元中日・平田良介は「落合博満に救われた」…たった一つの“助言”とは? 現役引退の報告は「何度か電話かけてるんですけど…」 

text by

田口元義

田口元義Genki Taguchi

PROFILE

photograph byGenki Taguchi

posted2023/02/01 11:01

元中日・平田良介は「落合博満に救われた」…たった一つの“助言”とは? 現役引退の報告は「何度か電話かけてるんですけど…」<Number Web> photograph by Genki Taguchi

昨年末に現役引退を発表した平田良介。名将・落合博満とのエピソードを、Number Webのインタビューで語ってもらった

なぜ落合は平田を重宝したのか

 打率、ホームラン、打点のタイトルを全て獲得する「3冠王」に3度輝いたプロ野球で唯一のバッターで、通算では歴代6位となる510本のホームランを記録。指導者としても2004年に中日の監督に就任するや、チームを5年ぶりのセ・リーグ制覇へと導いた。

 05年の高校生ドラフトで、中日は早々と平田の1巡目指名を宣言していた。そこには、「鍛えれば、俺以上のバッターになる」といった落合の意思も含まれていたとされる。事実、公言通り1巡目で平田の単独指名に成功すると、直後の取材では「実際にプレーを見たわけではないが、将来、うちの主力になってくれる素材には間違いない」と、期待感をにじませていたという。

「甲子園のあとのジャパン(AAAアジア野球選手権大会)で右肩を怪我したこともあったんで、中日だけが1位で指名してくれたのは驚きでしたし、嬉しかったですよね」

 落合の目に留まったルーキーは、1年目から一軍デビューを果たした。2年目の07年には、レギュラーシーズンでの出場は3試合ながら日本シリーズの舞台に立ち、スタメン出場した第5戦で結果的に山井大介、岩瀬仁紀による「完全試合リレー」をアシストする、虎の子の1点となる犠牲フライを記録した。

 平田が若くして落合から重宝された理由。それは、世間が持ち味と認識するバッティングではなく守備や走塁だった。

 主戦場だったセンターは、高校時代から守備範囲が広く、送球も正確だったため評価は高かった。平田がより気を配ったのが走塁面だ。高校3年のAAAアジア選手権で右肩を負傷した影響もあり、帰塁の際の負担を軽減するためプロ入り後はリード幅を小さくしていた。塁間の距離が長くなれば盗塁の成功率も下がる分、かえって走塁への意識は高まった。

 平田が認識していた「落合監督」とは、役割分担を明確に求める指導者だった。バントや守備、走塁。個人成績以上に身の丈に合った仕事こそ、落合から評価された。

「『こちらが求めていることさえしっかりやってくれれば、他は目をつぶります』っていうスタンスだったんじゃないかな。僕が若い時、チームがめちゃくちゃ強くても一軍に呼んでもらったのは、守備、走塁を頑張ったからかなって思います」

【次ページ】 若き平田に落合の「金言」

BACK 1 2 3 4 NEXT
平田良介
落合博満
大阪桐蔭高校
中日ドラゴンズ
山井大介
岩瀬仁紀
山崎武司
野村克也
井端弘和

プロ野球の前後の記事

ページトップ