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「公立校で無名」伊東純也が見出された一撃、「くそガキ」だった鎌田大地や選手権ヒーロー柴崎岳の強い芯とは〈日本代表の高校時代〉 

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photograph byKiichi Matsumoto/JMPA

posted2023/01/09 17:00

「公立校で無名」伊東純也が見出された一撃、「くそガキ」だった鎌田大地や選手権ヒーロー柴崎岳の強い芯とは〈日本代表の高校時代〉<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto/JMPA

柴崎岳、伊東純也、鎌田大地。それぞれの高校時代のルートは違えど、日本代表へとたどり着いた

 14番を背負った伊東はカタールW杯アジア最終予選、エース級の働きでゴールを量産。苦境にあった日本代表を救う救世主となった。

 本番のW杯ではゴールこそ奪えなかったものの、4バック時のサイドハーフ、3バック時にはシャドーの一角とウイングバックと多くのポジションで起用されながら万能性を発揮。4試合すべてに起用され、ドイツ、スペイン、クロアチア戦にフル出場を果たすなど、森保一監督の信頼にこたえるプレーを見せた。

 そんな伊東は小・中・高校すべてのカテゴリで全国大会を経験したことがなかった。いわゆる無名の選手だ。父・利也さんもこのように話していたほどである。

「純也がサッカーを始めたのは近所の同級生がやっていたから。当時から足は速かったですが、抜群に(サッカーが)上手いというわけではなかったですね。鴨居SCは、純也の代はそこそこ強かったですが、あくまで地元でのことです。純也はどこに行くにもサッカーボールを持っていき、試合になると夢中でクルクル回るようにドリブルをしていました。ただ、周りの子と比べて特別なことはなかったですし、プロ選手にありがちなウィニング・ストーリー的な話はまったくないですね」

“公立校”の無名の存在から大学、Jリーグへ

 サッカー人口が多い神奈川県出身の伊東。高校時代に所属したのは公立校である逗葉高だった。実は同じ高校には、横浜F・マリノスユースに所属していた小野裕二(現サガン鳥栖)がおり、高校3年時にはすでにJリーグデビューを果たしていた。その姿を見た当時の伊東は「差があり過ぎ」と評していたほどだ。

 ただ世間的には無名だったとはいえ……伊東は逗葉高で全く輝かなかったわけではない。インターハイ予選・桐光学園戦でチームは1-6の大敗を喫したものの、伊東はドリブルで相手マーカー複数人を突破したファインゴールを叩き込んだ。この一撃がスカウトの目に留まり、大学サッカー部からの誘いがくるようになったという。

 神奈川大学で伊東は3年時に関東大学リーグ2部で得点王とベストイレブンに輝き、翌年も2年連続となるベストイレブンに選出されるなど、実力を磨いていた。ただ大学1年時には名スカウトとして知られる森淳氏がそのスピードに目をつけていたという。

 2015年ヴァンフォーレ甲府に加入した伊東は着実に結果を残し、柏レイソルでその才能を開花させて日本代表の主力へと定着した。選手権などとは無縁でも、サクセスストーリーの可能性はあることを伊東は示したと言える。

 <つづく>

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