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石橋貴明の“ドラ1指名”、あのファイターズ熱血OBからも直電オファー!? 人気者・杉谷拳士の2023年「社長業+インタビュアーに挑戦」 

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田中大貴

田中大貴Daiki Tanaka

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photograph byShigeki Yamamoto

posted2023/01/02 11:04

石橋貴明の“ドラ1指名”、あのファイターズ熱血OBからも直電オファー!? 人気者・杉谷拳士の2023年「社長業+インタビュアーに挑戦」<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

“前進”を後押しするような冬晴れの下で、社長としての抱負を語った杉谷拳士。年始は人気バラエティ番組に多数出演予定だとか

杉谷 いや、続けますよ!たしか野生化計画はSeason4で終わっちゃってますよね。後輩たち、それこそ松本剛、野村(佑希)、細川(凌平)、郡(拓也)とずっと続けていけるような子たちと一緒にやっていましたので、Season12あたりまで目指します。社長という立場になりますが、球拾いもやります! 彼らのためになるなら絶対に顔を出さなきゃいけないと思っています。

――SNSでの発信も面白かったです。

杉谷 最初はオーストラリアで何をしてるのかをファンの方たちに伝えたいと思った時に「よし、野生化計画」だとスパーンと閃いたんです、オージー産です。やっぱりキャッチーなフレーズは大切かなと。

 野球選手は「どうせ野球だけやってるんでしょ?」と思われるのがすごく嫌でしたし、いろんな人との繋がりがあるからこそ活動できているということを、後輩たちにも伝えたい気持ちがあり投稿していました。その時に感じてたことを写真や言葉にしてずっと一生残していきたいという思いもありましたね。

――発信という意味では、毎年のように爆笑を誘っていた契約更改の会見も忘れられません。いつも必ず“ひと笑い”を狙っていましたよね。

杉谷 もちろんです。メディアの方々がいつも来てくれていましたし、こんな僕にスポットを当てていただくわけですから、必ず何かしなきゃいけないという使命感はありました。いくら年俸が上がっても、下がったとしても、絶対それはしないといけない。

――印象に残っている会見は?

杉谷 最後の「前進会見」は“1位”だとして、印象に残っているのはFA残留会見の前のやりとりですかね。僕は権利を早めに取得しましたが、ファイターズを出る気なんてサラサラないわけですよ。なのに、栗山監督から「どうすんの? 来年はどこ行く?」と言われたり、当時GMだった吉村さんにもいじられていました。えっ? ファイターズを出る前提じゃん!って。コンちゃん(近藤健介)にも「拳士さん、もう出てくださいよ、いい加減」と。なぜこのチームは俺をこんなに放出させようとしてるんだと思いながら……いい思い出です(笑)。

――こんなにいじられるFA選手はいないかもしれませんね(笑)。お立ち台での活躍も印象深いですが、特に思い出されるのは「スギノール」でしょうか。2019年5月23日、史上19人目の令和初となる左右両打席ホームランを記録したあの試合。

ヒーロー戦隊の主役の気分だった「スギノール」

杉谷 スギノール…(ワードは)出ましたね、ふと。

――あの打席の後は誰もハイタッチしてくれなかった(笑)。

杉谷 ホームラン打って、みんなにサイレントされて。最後、鶴岡(慎也)さんに抱きつきました。(いじってくれて)みんなありがとうと思っていたら、その後ろでマネージャーさんが「おまえ、セギノール以来じゃねえか。すげえよ」と漏らしていたので、だから「セギノール? じゃあ、今日から僕はスギノールですね」と言ったんです。そしたらベンチのみんなが「この人、なんかヤバいこと言ってる!」と笑いを我慢していて。これはイケると思いました。

――それでお立ち台に。

杉谷 はい。「今日から僕はスギノールとして生きていきます」と宣言しました。

――あそこから“杉谷街道”が始まりましたね。

杉谷 今でも子どもたちが「スギノール!」と言ってくれるのがうれしくして。ヒーロー戦隊の主役みたいになりましたから。日曜日の朝に出てる「スギノールだっ!」って。スギノールTシャツも大好評でした。

――本家セギノールさんには何かメッセージを送ったんですか。

杉谷 当時は西武にいた時に一度だけ挨拶できました。「はじめまして、杉谷です。ありがとうございました」と。そしたら「知ってるよ」みたいなことを言ってくれましたね。

――現役時代「両打ち」にはこだわりがありましたか?

杉谷 何度か右打席に専念したほうがいいのかなって思う時期もありましたが、栗山監督や(打撃コーチだった)金子誠さんだったり、いろんな方に最後までスイッチヒッターでやりなさいと、打てないわけないからとずっと言っていただいて。吉村さんにもデータ的に打てる、気持ちだけでしょうという話をされていました。ずっと“魔法”をかけてもらってたんですけど、最後の最後まで魔法はかからなかったですね……申し訳ない気持ちでいっぱいです。

――キャリアハイは2015年(打率.295)。

杉谷 いい感覚をつかんだシーズンだったので、次の年からスタートダッシュしようと思っていたら、すぐに有鉤骨を骨折してしまった。今考えると、そこが一番の転機だったかなと思います。ただ、落ち込んでる自分はいませんでした。何ができたら一軍に復帰できるか、どうしたらリハビリ頑張れるか、とポジティブ思考になっていました。自分が成長していると思える瞬間でもあったんです。

【次ページ】 「踊れる?」一軍復帰すぐに“きつねダンス”

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