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石橋貴明の“ドラ1指名”、あのファイターズ熱血OBからも直電オファー!? 人気者・杉谷拳士の2023年「社長業+インタビュアーに挑戦」
posted2023/01/02 11:04
text by
田中大貴Daiki Tanaka
photograph by
Shigeki Yamamoto
――続いてお聞きしたいのは「帝京魂」について。今年もまもなく“あの時間”がやってまいります。
杉谷拳士 来ました、帝京魂! 2年ぶりに戻ってまいりました。昨年はロスがありましたが、それも充電期間ということで。14年分の思いをバットに込めてきました。
――ある意味、引退試合ですね(笑)。
杉谷 「全速力前進試合」みたいな、そんな感じでしたね。なので(収録は)とても面白かったです。
帝京高校時代は“生意気”だった?
――帝京高校時代、高校生・杉谷拳士はどんな選手だったのですか? どう過ごしていたのでしょう。
杉谷 1年生のときはガンガン先輩に噛みついていましたね。先輩たちがずっと甲子園を逃してきていたので、「ラストチャンスと言ってるだけで、勝つための野球やってますか?」とか。前田(三夫)監督も「おい、1年坊。あいつのプレー、どう思う?」とわざと僕に言わせるんです(笑)。3年生たちからすれば「なんだ、おまえ」みたいな感じだったと思います。
――勇気ありますねえ(笑)。
杉谷 「この場面、もっとこうしたほうが良かったんじゃないですか」「何であのポジショニングだったんですか」とか、気になることがたくさんあったんです。ただ、先輩たちにとって最後の試合になった夏の甲子園の智弁和歌山戦(第88回大会、杉谷さんは当時高1)。自分が1球で敗戦投手になってしまったので「絶対怒られる」と思っていたら、3年生たちから「拳士、ほんとにありがとうな」と言われて。「おまえが入ってきてから、俺ら3年生、何やってんだってみんなで話してた」「おまえみたいなギラギラした奴が入ってきて、なんか自然とおまえに引っ張られてたな」と。本当に嬉しい言葉でした。こういう気持ちで積極的にプレーして、どんどん自分の長所を伸ばしていけばいいんだと、その時に思うことができました。
――チームの雰囲気を変える言動が身についたり、ムードメーカー的存在になれたのはやはり帝京時代に培われたものなんですね。
杉谷 そうですね。でも、高校時代からムードメーカーになろうと思ってたわけではなくて、ほんとに心の底から野球を楽しんで、それをグラウンドで表現していたというのが一番正しいのかなと思います。
あと実は僕、高校3年間で授業を1回も寝たことないんですよ。それぐらい教室の時間が楽しかったんです。周りにいたサッカー部のやつらもそうですし、もう何かあるごとにハプニングが起きるので話術が鍛えられる。ちょっとでもスベったらツッコまれていたので。
――今のトーク力はグラウンドだけでなく、教室で培われたと?
杉谷 もうあんな高校ないと思います。心の底から、帝京高校に入ってよかったです。帝京魂!