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Jをめぐる冒険BACK NUMBER
「YouTuberになる」父・森保一はドイツから帰国した息子に何と返した? LISEMけーごが語る森保家の“やるなら楽しめ”主義
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byMiki Fukano
posted2022/11/22 11:04
広島ユースで日本一に輝くなど、順調なサッカー人生を歩んできた森保圭悟さん(29歳)。その後の海外でのプレー経験がYouTuberの活動につながった
1学年が100人ほどの大所帯で、レベルは想像どおり高かった。3個上には卒業後、ヴァンフォーレ甲府でプロになる河本明人(現南葛SC)、1個上には江坂任(現浦和レッズ)、2個下には守田英正(現スポルティング)がいた。
「河本さんにはびっくりしました。体は小さいけど、めちゃくちゃ強いし、ひとりで点を取ってチームを引っ張っていた。守田は正直、ここまでの選手になるとは想像できなかったですね。トップ下として入学してきて、途中からサイドバックをやるようになって。技術は高いし、器用な選手だなと思ってはいたんですけどね」
さらに、対戦相手の選手たちにも度肝を抜かれた。なかでも強烈だったのが、当時、黄金時代を築いていた専修大学の面々だ。
「長澤和輝さん(現名古屋グランパス)、仲川輝人さん(現横浜F・マリノス)、下田北斗さん(現大分トリニータ)……、めちゃめちゃ強くて、勝てる気がしなかったですね」
全員が、自分と同じように高卒でプロになれなかった選手たちである。それなのに、こんなにレベルが高いのか……。大学サッカーの奥深さを見る思いだった。
一方で、自身も大学1年の頃から出場機会を掴み、トップ下や右サイドでプレーした。Jリーガーへと繋がる階段を一歩、一歩、登っていった。
大学ラストイヤーを棒に振る長期離脱
しかし、主力として迎えた大学3年の12月、その階段が突如、途切れた。
全日本大学選手権の決勝で左足首靭帯を負傷し、全治まで半年を要してしまうのだ。プロ入りに直結する大事な大学4年の前半を、棒に振ることを意味していた。
「復帰したらすぐ痛めて、の繰り返しで、ほかの部分も痛くなったりして。今はケガも実力のうちと受け入れてますけど、当時はすごく焦りました」
ようやく完治した頃には、夏が終わろうとしていた。そこから、父が率いるサンフレッチェ、サガン鳥栖、水戸ホーリーホックの練習に参加した。なかでもJ2の水戸では手応えを掴んだ。
「やれている感がめちゃめちゃあったので、入れるんじゃないかと。でも、契約できなくて、ちょっと落ち込んだというか。『これでもプロに行けないのか』と思いました」
日本でプロになれなければ、サッカーを辞めるつもりだったが、物心ついたときから親しんできたサッカーと、そう簡単に別れられるわけがなかった。
「それで、海外に行こうかなと。セカンドキャリアのことも考えて、英語を勉強しておいたら、何かしら役に立つかもしれないなって。オーストラリアに繋がりがあったので、オーストラリアに行くことにしました」
このとき、背中を押してくれたのは、父だった。
「電話で報告したら『どんどん行け』って。親父は昔から海外志向が強くて、小学生のときに僕ひとりでニュージーランドにホームステイに行かされたんです。『世界を見てこい』と言われて」
圭悟は2016年1月、オーストラリアに渡った。父の率いるサンフレッチェが、父と同じ“ドーハ戦士”である長谷川健太監督のガンバ大阪を下して3度目のリーグ優勝を果たした直後のことだった。
いずれ父親が日本代表監督になることも、自身がYouTuberになることも、このときは想像すらしなかった。
(後編へつづく)
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