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欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
JFLからJ1に飛び級移籍→クロアチアへ!“50m5秒台”新井晴樹24歳が語る工務店時代「現場を掃除したり、ビラを配ったり…」
text by
長束恭行Yasuyuki Nagatsuka
photograph byYasuyuki Nagatsuka
posted2022/10/22 17:00
クロアチア1部・シベニクに所属する新井晴樹インタビューの前編。写真はシベニク旧市街を一望できる聖バロネ要塞で撮影
「ありえない」と思っていたJ1からのオファー
――JFLから這い上がろうという意識はありましたか?
間違いなく叩き上げの意識はありました。ティアモに入る前にも「とりあえず、まずはここで1年間サッカーに真剣に取り組む。でも目指しているところはここじゃないので1日でも早く移籍したいです。もちろんサッカーをやっている以上は日本代表に行きたいわけですし、それに少しでも近づけるよう毎日頑張りたいです」と言いました。ティアモの方も「クラブとして上位カテゴリーに選手を輩出していきたいと思っているから、地に足を付けて泥臭く毎日頑張ろう」と言ってくれて。もう毎日、常にそういうことを考えてましたね。「Jリーグに行きたい、Jリーグに行きたい」って。
――そしてセレッソ大阪が新井選手を発掘するわけですが、そのきっかけは?
2021年の4月末のセレッソとの練習試合です。相手監督のレヴィー・クルピが僕を評価してくれました。その試合では得点も決めるなど手応えがかなりあったのですが、ロッカールームに帰ってからベテランの人に「晴樹、セレッソがお前のことを凄く褒めていたらしいよ。お前のことを獲るんじゃね?」と言われました。でも、さすがに信じないじゃないですか(笑)。セレッソはかなり上のチームだし、試合会場に入った時も芝がとてつもなく綺麗で、「こんなところでサッカーができたら幸せなのにな」とみんなで言ってました。そして「オファーなんてありえない」と思っていたら、試合の2日後にはセレッソから連絡が届きました。
――実際にセレッソに加入したのはいつですか?
セレッソで1週間にわたって練習参加し、7月に移籍ウィンドウが開いた際にティアモからローン加入しました。しかし、クルピ監督が1カ月後には解任され、監督が小菊(昭雄)さんに代わってからは出場機会も減っていきました。
――左サイドハーフのポジション争いの相手は誰だったんですか?
乾(貴士)さんです。同じ夏に加入した乾さんが基本的にレギュラーでしたね。
――その乾選手から学んだことはありますか?
日本のトッププレイヤーなのでやっぱりたくさんあります。僕のプレースタイルとは違いますが、足元の技術はもちろん、しっかりと守備ができる選手なんですよ。海外に行ってから自分の中でかなり変わったそうで、日本に帰ってきてからはハードワークしますし、立ち位置で相手を誘導することがとても上手いので、外から見ていてもかなり勉強になりました。アドバイスもけっこうしてもらえましたよ。