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欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
JFLからJ1に飛び級移籍→クロアチアへ!“50m5秒台”新井晴樹24歳が語る工務店時代「現場を掃除したり、ビラを配ったり…」
posted2022/10/22 17:00
text by
長束恭行Yasuyuki Nagatsuka
photograph by
Yasuyuki Nagatsuka
2021年、JFLのFCティアモ枚方からJ1のセレッソ大阪へと異例の「飛び級移籍」を果たし、現在はクロアチア1部リーグのシベニクでプレーする新井晴樹。50メートルを5秒8で駆け抜ける24歳の快速MFは、どんな経緯で東欧に渡ることになったのか。クロアチアサッカーを長年取材する長束恭行氏が、現地でインタビューを敢行した。(全2回の1回目/後編へ)
――今はシベニクでレギュラーとして活躍している新井選手ですが、国士舘大学では公式戦にあまり出ていなかったそうですね。
1年生からトップチームに所属していたんですけど、スタメン出場は5試合ほどしかなかったです。ぼちぼちと試合に出ても、すべて途中出場のスーパーサブのような扱いでしたね。
――当時はキャリアプランをどのように描いていたのですか?
Jリーグのクラブとはよく練習試合をしていたのですが、そこでも点は取れているし、十分にやれていました。僕の武器はスピードで、「自分よりも速いな」と思った選手はいなかったので、プロになれる自信しかなかったんですよ。だから試合にそんなに出てなくてもサッカーをやめようとは思わなかったです。
――スピードは昔から武器だったんですか?
そうです。幼稚園や小学校の時からずっと足が速くて。
――立派に鍛え上げた太股が新井選手のトレードマークですもんね。
身体は大学生になってから鍛えました。大学サッカーになると周りの選手もみんな速くて強い。高校時代はちょっとケガが多くて、大学1年生で再び第五中足骨を疲労骨折したんです。その時に竹田和正さんというトレーナーを紹介してもらって、身体を根本から変えるトレーニングを始めました。それからは大ケガを一度もしていないですし、瞬発力が上がって当たり負けもしなくなりました。
――当時のポジションはどこだったんですか?
フォワードです。大学4年の途中から左サイドハーフになった感じです。