- #1
- #2
プロ野球PRESSBACK NUMBER
「ぼく…密約なんてしてません」PL学園・桑田真澄がドラフト当日に明かした巨人への思い「清原よりもぼくを選んでくれた。嬉しいんです」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2022/10/20 11:02
1985年11月20日のドラフト会議で巨人に1位指名を受け、記者に囲まれ質問されるPL学園・桑田真澄
弘子は叫んだ。嘆きと怒りがないまぜになっていた。井元はその姿に清原の思いを見た。意中の球団に指名されなかった彼の嘆きは怒りになり、それは桑田に向けられるのかもしれない。そうだとしても井元にはどうすることもできなかった。
「清原か、桑田か」
ふと、まだ31期生たちが入学する前、鹿児島の指宿合宿に連れていったことを思い出した。練習では清原と桑田をあえて組ませた。宿でも同じ部屋にした。二人は認め合い怖れ合い、それゆえに思いを一つにしたようだった。それが井元の願いだった。
だが振り返ってみれば、PLが勝ち、KKの名が知れ渡るにつれて、あらゆるものが二分化されるようになっていった。「清原と桑田」ではなく、「清原か、桑田か」。チームメイトも指導者もメディアも、二つの巨大な引力を前にそうならざるを得なかった。そしてドラフト会議を迎えたこの日、井元が引き合わせた二つの才能は断絶したのだ。
午後の記者会見、先にカメラのフラッシュを浴びたのは清原だった。巨体を縮めるように俯いた18歳に質問が飛んだ。
「気持ちの整理はついていますか?」
甲子園の怪物と呼ばれた青年の瞳は濡れていた。
「いまは、まだついていません……」
彼は泣いていた。記者たちの視線がその涙に向けられた。
「巨人に指名されなかったことについては?」
続いて放たれた問いに、清原はさらに俯いた。
「いまは何も言えません……」
少し間があって、巨人の1位指名選手が、ともに甲子園で戦った盟友の桑田であったことについて質問が飛んだ。それは誰もが心に引っかかっていることだった。
清原はしばらく沈黙した後に、こう絞り出した。