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ドラフト史上最多の8球団競合→ロッテ入団拒否「あの頃、ツンツンにとんがってましたから」小池秀郎の実家に届いた抗議の電話
posted2022/10/20 11:03
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Sankei Shimbun
会場内に「小池秀郎」の名前が8回響いた。その年の目玉だった即戦力左腕。亜細亜大の小池秀郎が史上最多タイとなる8球団から指名を受けたのは、1990年秋のドラフト会議でのことだ。
「そのときの気持ちはよく覚えてないな……。ドラフトの時期になると、決まってあのときの映像が流される。なんてヘアスタイルしてんだ、って方が先。中途半端なパーマをかけていて恥ずかしくてしょうがない」
競合の末、ロッテがクジを引き当てた。テーブル席に座っていた監督の金田正一は「やったーっ!」とバンザイ。だが、事前に、巨人、ヤクルト、西武の3球団を“逆指名”していた小池は、ロッテに対し入団拒否の姿勢を貫く。当時の亜大総監督、矢野祐弘が「12球団の中でもっとも避けたいと思っていた球団」と発言したことなどもあり、小池の選択に対する世間の風当たりは強かった。
「若かったんでしょうね……」実家には抗議の電話
「当時のロッテに、偏見をもっていたのかもしれませんね。なんで3球団にしぼったんかな……。強いとか、人気があるとか、そういうイメージだけで決めていたのかも。その3球団以外だったら、どこであっても行ってなかったんじゃないですか。あの頃、ツンツンにとんがってましたから。
僕は割と周りに守ってもらったのですが、実家にはかなり抗議の電話もあったようで、帰ったときに電話の上に座布団が置いてあったことがあります。父親が『もう電話に出たくない』って。オヤジは当時のロッテのスカウト部長、醍醐(猛夫)さんに惹かれて、一度、真剣な顔で『あんなにいい人がいるのになんで拒否するんだ』って言われた。でも、あのときの僕には聞く耳がなかった。若かったんでしょうね……」