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「よっしゃー!」PL学園・福留孝介に拒否された近鉄・佐々木恭介の証言「ぼくは孝介のファンだから」ドラフトのわだかまりを超越した師弟愛 

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阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

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photograph byKYODO

posted2022/10/20 11:04

「よっしゃー!」PL学園・福留孝介に拒否された近鉄・佐々木恭介の証言「ぼくは孝介のファンだから」ドラフトのわだかまりを超越した師弟愛<Number Web> photograph by KYODO

PL学園・福留孝介の交渉権を手にして喜ぶ近鉄・佐々木恭介監督、右は中日・星野仙一監督(1995年)

 7球団の競合も驚かなかった。それだけの選手と思っていたのだ。くじ引き。バファローズの抽選順は1番目である。他球団のある人からささやかれた。

「当たりの封筒が箱の横や上に張り付いているかも知れんから、注意せなあかんぞと。裏から手を回してそういうことをする球団もあるという噂があったんです。だから、注意はしましたが、くじそのものは躊躇なく選んだ」

 一番上にあるくじを引く。それが佐々木の決意だった。

「タイガースのコーチ時代、中村勝広監督が、ドラフトで松井秀喜を引き当て損ねた。中村さんは飛行機嫌いで、東京まで電車で行っていたので、地面を行ったんだから上よりは下に運があると、2枚残ったくじのうち下を引いた。ところが当たりは上にあった。それをジャイアンツの長嶋監督に引き当てられた。そのことが頭にあって、引くなら絶対上だと思っていた」

 一番上を引いた佐々木の決断は正しかった。しかし、引き当てはしたものの、交渉は難航した。

「ぼくもドラフト当日とその後の交渉で、合わせて3回孝介に会った。彼はニコニコして、いやな顔を一切見せずに話を聞いてくれるんですが、いざ入団となると、絶対にイエスといわない」

 表面は柔らかいが、芯に恐ろしく硬いものがある。佐々木はそれに歯が立たなかった。

6年後、ドラゴンズの打撃コーチに就任

 そのドラフトから6年後の秋、佐々木はドラゴンズの打撃コーチに就任した。山田久志監督から「孝介を何とかしてやってくれ」と、直々に懇願されての就任だった。社会人を経てドラゴンズに入った福留はプロの投球に対応しきれず、自分の打撃を見失っていた。

「近くで見ると、高校時代のよさがまったく失われていた。スタンスもグリップの位置も、彼の特徴が生きていない。だからそのオフから2002年のキャンプにかけて、ほかの選手ならつぶれるくらい振り込ませて、根本から作り直したんです」

【次ページ】 松井秀喜に競り勝ち、初の首位打者に

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