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「よっしゃー!」PL学園・福留孝介に拒否された近鉄・佐々木恭介の証言「ぼくは孝介のファンだから」ドラフトのわだかまりを超越した師弟愛 

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阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

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photograph byKYODO

posted2022/10/20 11:04

「よっしゃー!」PL学園・福留孝介に拒否された近鉄・佐々木恭介の証言「ぼくは孝介のファンだから」ドラフトのわだかまりを超越した師弟愛<Number Web> photograph by KYODO

PL学園・福留孝介の交渉権を手にして喜ぶ近鉄・佐々木恭介監督、右は中日・星野仙一監督(1995年)

 佐々木にドラフトのときのわだかまりがまったくなかったわけではない。

「もちろん、気にはなっていましたよ。でも、2000年にドラゴンズのキャンプ取材で沖縄の北谷に行ったとき、向こうから笑顔で挨拶に来てくれた。それでだいぶ和らいだ」

 そしてプロとして大成するための猛練習が、ふたりの結びつきを特別なものにしてゆく。福留は佐々木の指導を受けた最初のシーズンの02年、三冠王をねらう松井秀喜との競り合いを制して、初の首位打者を獲得する。1年目で早くも成果が出たのだ。それをきっかけにリーグを代表する打者に成長していった福留に、佐々木は指導者という立場を超えて、どんどん惹かれて行った。

「ぼくは孝介のファンだからね」

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 08年、福留がメジャーのカブスに入団すると、佐々木は自費で4回も渡米し、福留の試合を見た。

「ぼくは孝介のファンだからね」

 メジャーヘの対応に苦労する福留が、佐々木からアドバイスを受けるようになるのも自然の流れだった。09年からは福留の申し出を受けて、カブスも佐々木に個人コーチの資格とユニフォームを与えた。09年には5回、10年には4回、渡米して、打撃を見たり、食事をしたりした。その結びつきはまるで親子のようである。

「今シーズン日米通算1500安打に到達したとき、ぼくもアメリカにいた。あの時バファローズに入っていたら、今頃は2000本に届いていたのに、とぼくがいうと、彼は笑って、佐々木さんが指名しなければ、1500安打ももっと早く到達していましたよと」

 ドラフトでは縁のなかったふたりが、めぐりあわせで師弟の絆を結ぶ。その損得勘定無しの絆もドラフトの副産物かもしれない。佐々木のケータイの待ち受け画面は、福留の長男の写真である。

●初出:2010年10月14日発売・Number764号「その時、球史が動いた」より

(#3へつづく)

#3に続く
松坂大輔という“超目玉”を逃した横浜スカウトの悔し涙「ものすごく不吉な予感に襲われたんです…」ドラフト抽選前に何があった?

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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