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「大きな転機となったドラフトだった」“弱小球団”が競合覚悟で1位指名…田中将大18歳に苫小牧で伝えた「一緒に歴史を作ろう」
posted2022/10/20 11:06
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
BUNGEI SHUNJU
夏の甲子園で死闘を演じた駒大苫小牧・田中将大投手に注目が集まった2006年。4球団競合の末、交渉権をもぎ取ったのは楽天だった。米田純球団代表が、“球界の宝”獲得の瞬間を振り返る。
「ドラフト当日は、スカウト陣と一緒に控え室のモニターで会議の様子を見ていました。6、7球団の競合と予想していましたから、4球団は意外と少ないな、と。それでも、いざ抽選となると固唾を飲んでモニターに見入りました。島田社長が、前年に片山(博視)を引き当てた右手でクジを引いて封筒を開くんですが、妙な間があって。しばらくして当たりだと分かったとき、控え室のみんなから『よしっ!』と雄叫びがあがった。会議の後、島田社長と握手をして『本っ当にありがとうございます』と言ったことを覚えています」
この年は、04年オフに新規参入した楽天にとって、3回目のドラフトだった。
新規参入から2年「初めてのドラフトだった」
「初めてのドラフトは新規参入の決定から2週間しかなく、05年もスカウトが十分に機能するまでには至っていなかった。06年は球団として初めて、編成の態勢が整った上で臨むことができたドラフトだったんです。何といっても弱小球団でしたから『まず投手、しかも即戦力』というのが明確な編成方針でした。
当然、田中の名前は当初から挙がっていて、『超高校級。フィジカルさえ万全なら将来性間違いなし』というスカウトの評価もあり、競合覚悟で1位指名を決断しました。仙台に拠点を置く球団として、東北以北の逸材を獲得したいと常々考えてはいますが、彼の場合はそうしたことを超越した存在でしたね。
もちろん岩隈や礒部といった人気選手は当時からいましたが、次のスターを渇望していただけに、田中の獲得には大きな意味があった。この年に獲得した選手は、永井や嶋、渡辺直人と、いま活躍している選手が多い。振り返れば、球団の6年間の歴史の中で、大きな転機となったドラフトだったと思います」