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大学野球PRESSBACK NUMBER
「ドラフト競合必至」明大2年・宗山塁が明かす“甲子園中止”の広陵時代…「寮が閉鎖されて」「どうして正式決定前に報道が…」
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byNumber Web
posted2022/10/08 11:00
2年生ながら大学日本代表入りを果たした宗山塁(明治大)。2年後のドラフト候補に挙げられる宗山に、広陵高時代を語ってもらった
ずば抜けたセンス…1年生で奥川恭伸から安打
細身ではあったが、センスのある打撃と守備が認められ、1年の夏からベンチ入りを果たす。広島大会を勝ち抜いた広陵は2年連続で甲子園に出場。背番号17の宗山は1年前に羨望のまなざしを向けた場所に立った。
「そこにいるだけで緊張するような、独特な雰囲気のある場所でした。キャッチボールの段階で、地に足がつかないふわふわした感じで……。実際に甲子園でプレーして、あの景色を見て、ここでいい成績を残してチームを勝たせたいという目標ができましたね」
チームは初戦(2回戦)で敗れた。しかし、その秋には広島大会、中国大会を制して、明治神宮大会に駒を進めた。中国大会では創志学園のエース・西純矢(現阪神タイガース)、神宮大会では星稜の奥川恭伸(現東京ヤクルトスワローズ)からヒットを放っている。
2年春のセンバツ、ショートを任された宗山は2試合で7打数1安打、2失策に終わった。
「ショートは内野で軸にならないといけないポジションなんですが、自分のプレーができたかというと全然そんなことはなくて。甲子園で自分たちの悪いところ、弱いところが出てしまった。
つづく夏も、広島大会でライバルの広島商業に敗れました。練習試合でもほとんど負けることがなくて、どんなに強いチームと対戦しても互角以上に戦える手応えはあったんですが……。自分たちの力を出すことができなかった」
中井監督からキャプテンを剥奪された日
宗山に残された甲子園出場のチャンスはあと2回。新チームが立ち上がる時、「日本語を知っとるんかと思うくらいしゃべらん男」(中井監督)がキャプテンに選ばれた。
「キャプテンシーがあるタイプではないので、“絶対的なキャプテン”にはなれそうにない。でも、試合でたくさん経験を積ませてもらっていたので、自分がやらないといけないと思っていました。キャプテンは弱いところを見せられないし、チームの軸にならないといけない。グラウンドの外でも率先して動いて、ほかの部員の模範にならなければと」
だがその秋、センバツ出場権に手が届かなかった。
「あと1勝というところで負けてしまいました。自分たちの野球ができなかった」
最後の夏に向けて冬練習に励んでいた時、宗山はキャプテンから降ろされた。2017年夏の甲子園で準優勝したチームでも、キャプテンの中村奨成が途中で外されている。チームのまとまりを重視する中井監督には宗山のリーダーシップが物足りなく見えたのだろう。
「チームをうまくまとめられなくて、『おまえじゃダメだ』と中井先生に言われて。それまでは自分を客観的に見ることができなかったんですが、キャプテンを離れたことでどうあるべきかを見つめ直すことができました」
チームリーダーは野球がうまいだけではいけない――1カ月後、中井監督から「変化」を認められた宗山は、キャプテンに復帰することになった。
「その間はずっと、中井先生の視線を感じていました。再びキャプテンになってからは、自分が外れていた期間に感じたことをチームにフィードバックしていこうと思いました。45人の同期みんなと話し合うことが大事だなと」