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常連組に気後れして“お客さん”のような立ち位置に…谷口彰悟がいま明かす代表初招集時の苦い記憶「日本代表の重みを理解していなかった」
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/09/22 17:03
2015年6月のイラク戦で日本代表初出場を飾ったプロ2年目の谷口彰悟(当時23歳)。しかし、ここから代表に定着することはできなかった
「呼ばれないことには、何か理由があると思っていました。自分に矢印を向けて、もっと何かを変えていかないといけない。また呼ばれるためにはどうしたらいいのか。それを考えながらずっとやっていましたね」
約3年半ぶりの招集「チャンスを死んでも逃さない」
18年、19年、20年……。チームは国内タイトルを取り続けた。自身のパフォーマンスも高いレベルを維持できているつもりだった。しかし、代表の門は閉じられたまま。かといって理由を訊くこともできない。自問自答を繰り返し、気づけば代表の空白期間は3年にも達していた。
「その期間は苦しかったです。チームの失点を減らして優勝しても代表に呼ばれないんですから。ここまでやって『なんで?』という思いもありました。『もう自分に代表は無理かな。縁がないのかも』と思ったこともあります」
それだけに日本代表に返り咲いた瞬間は、忘れられない。
2021年5月。Jリーグで圧倒的な強さを見せる王者のディフェンスリーダーとして、満を辞しての森保ジャパン初招集だった。「素直にうれしく、光栄に思います。ほぼ初めて(招集された)くらいの感覚です」と、3年5カ月ぶりとなる代表復帰を噛み締めた。
ついに開いた代表の門。いや、自らこじ開けたと表現してもいいのかもしれない。
だから、日の丸をつけてプレーすることに、誰よりも貪欲になろうと思った。あんな後悔はもうしたくないからだ。胸に秘めている力強い思いを、言葉に込めた。
「ようやく昨年、呼んでもらえました。このチャンスを死んでも逃したくない。そういう思いがありますね。自分のサッカー人生の全てをかけてポジションを勝ち取る。何が何でも代表に選ばれ続けるようにしたい。いま思うと、2015年の経験がそうさせていると思います」
長く苦しいトンネルの中でも、谷口彰悟は自分を見失うことはなかった。そしてあの頃にはなかった執着心と野心を胸に秘めて、サッカーと日の丸に向き合い続けている。<#2、#3へ続く>