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「何これ、筋肉がパサパサだ」松中信彦が“平成唯一の三冠王”になれた理由とは? “大酒呑みの九州男児”を変えた衝撃の一言
posted2022/09/30 17:02
text by
永谷脩Osamu Nagatani
photograph by
KYODO
奇しくもあれから18年。ヤクルト村上宗隆(22歳)が「三冠王」に近づく今、当時の貴重なインタビューを特別に無料公開する。Number613号(2004年10月14日発売)『三冠王インタビュー・松中信彦「言葉に責任を持つ」』より。
「三冠王を獲ったなんて実感はないんです。三冠王が獲れる選手というのは、王さん(貞治・巨人)や落合さん(博満・ロッテ)、野村さん(克也・南海)と挙げていっても、すごい打者ばかりじゃないですか。今までに6人しかいないんですよ。まさか、自分がそういう人たちと肩を並べられるなんて……。今でも実感がない。しいて言うならば、ああ獲れちゃったんだという感じかな。わからないけど、多分、王さんや落合さんでも、獲った時はこんな感じだったんじゃないですかね。ほんと、実感ないんです」
打率3割5分8厘、打点120、本塁打44。文句なしの数字である。しかし、松中信彦は、手にした三冠王について、「実感がない」という言葉を3度も口にして、戸惑いを隠さなかった。
「でも、最近、街を歩いていると、知らない人から“おめでとう”って声をかけられるんです。そういうことがあると、頑張ってきてよかったなって思います」
「どうしても結果を出す必要があった」
松中の今季は、決して順調な滑り出しとはいえなかった。年俸交渉がもつれて代理人交渉をし、キャンプヘの自費参加を余儀なくされた。やったらやっただけ評価してほしい。その代わりに、駄目なときにバッサリやられても文句は言わない。金銭にはこだわりをもたない九州男児がこだわったのは、自分に対する納得のいく評価だった。
「代理人交渉をやることで周囲に逃惑をかけました。その時に応援してくれた人たちに、松中の言っていることが正しかったということを見せるためにも、どうしても結果を出す必要があった。それがいいプレッシャーになっていたと思う。だから、今年は必死でやってきた。交渉のときにお世話をかけた弁護士の先生は三冠王を獲ったあと、“見返すことができたね”って言ってくれました。
結果を出せたことに関しては、嫁と子供に本当に感謝したい。九州の男って、こういうことには口下手なところがあるんですけど、素直に頭を下げました。いろいろあって、周りはいいことばかり言う人じゃない。そんな中でよく耐えてくれたと思うんです……。九州で生まれた男ですから、理に反することは嫌いやし、一度決めたら筋を通す反骨心は人一倍持っていると思う。不器用っていうか、一度こうと決めたら周りがいろいろアドバイスをしてくれても耳に入らない。ただ、言ったことに責任を持てる男でいたかったから、三冠王という結果が出せてよかった」