- #1
- #2
ボクシングPRESSBACK NUMBER
「ほんま、脳みそだけは触ったらあきませんよ」西成の“ごんたくれ”だった赤井英和が伝説のボクサーとして成り上がるまで〈25歳で壮絶引退〉
text by
曹宇鉉Uhyon Cho
photograph byNIKKAN SPORTS/Shiro Miyake
posted2022/09/08 11:02
1980年代、時の世界王者を凌ぐほどの人気を誇った“浪速のロッキー”。知られざる「プロボクサー・赤井英和」の実像とは
リング禍で意識不明に「脳に触れると吐き気が…」
世界戦だけでなく、半世紀近く前のアマチュア時代の出来事も鮮明に覚えているように、ボクシングに関する赤井の記憶力は驚異的だと言っていい。しかし、現役最後の試合となった大和田正春とのプロ21戦目は、まったく記憶に残っていないという。
「試合前は気持ちが荒れたり、ビビってしまったり、胸がざわつくことがあるんです。でも、いざリングに上がる瞬間に『今日ここで死んでもええわ』と思ったら、その恐怖がフッと抜ける。現役時代は、いつもそうやって戦ってきました。ただ、最後の試合だけは……。もう、なにも覚えていないんですよ。リングに上がって、ゴングが鳴ってからの記憶がまったくない。他の試合は完全に覚えているんですけどね……」
1985年2月5日、大和田に7回KO負けを喫した赤井は試合後に意識を失い、急性硬膜下血腫、脳挫傷によって重篤な状態に陥った。5時間におよぶ緊急手術でかろうじて命をつないだものの、意識を取り戻した直後は、なかば錯乱状態だったと明かす。
「自分のなかでは、大和田戦はまだやっていないんです。なんせ記憶がないもんですから。こんなとこで寝とったらあかん、練習せなあかんねん、と起きようとしたら、家族が『起きたらあかん!』と抑えつけてくる。それでも『試合が近いんや!』と無理やり動こうとするから、ベッドに磔にされてね。開頭手術したばかりなので、骨をはめずに皮だけ貼ったような状態です。ベッドで暴れながら頭を触ったりすると、ムニュっとするわけですよ。皮の下は脳みそやからね。それで『うえっ』と吐き気を催して、触ったらあかんて言われてるのに繰り返して……。ほんま、脳みそだけは触ったらあきませんよ(笑)」
一度は生死の境をさまよいながらも、再起に向けてリハビリに励んでいた赤井。だが退院に際しての記者会見の直前、院長室で「もうボクシングはできない」と通告された。一世を風靡した“浪速のロッキー”のボクサー人生は、こうして終焉を迎えることになる。
「絶対に復帰したると思ってましたし、もうできないなんて全然知らんかったし……。そらもう、ガーンという感じでしたね。明日からなにをして生きていけばええんやろう、と。そんなことばかり考えてました」
25歳の赤井英和は頭部に大きな縫い傷を残したまま、“持たざる者”として社会に放り出された。もちろん、のちに俳優としてブレイクすることなど、この時点では誰ひとりとして想像もしていなかった。<後編へ続く>