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「ほんま、脳みそだけは触ったらあきませんよ」西成の“ごんたくれ”だった赤井英和が伝説のボクサーとして成り上がるまで〈25歳で壮絶引退〉

posted2022/09/08 11:02

 
「ほんま、脳みそだけは触ったらあきませんよ」西成の“ごんたくれ”だった赤井英和が伝説のボクサーとして成り上がるまで〈25歳で壮絶引退〉<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS/Shiro Miyake

1980年代、時の世界王者を凌ぐほどの人気を誇った“浪速のロッキー”。知られざる「プロボクサー・赤井英和」の実像とは

text by

曹宇鉉

曹宇鉉Uhyon Cho

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NIKKAN SPORTS/Shiro Miyake

俳優・タレントとして、30年以上に渡って芸能界で活躍する赤井英和(63歳)は、かつて見るものに鮮烈な印象を残した人気ボクサーだった。長男・赤井英五郎が監督した映画『AKAI』(9月9日公開)によって“浪速のロッキー”の現役時代にふたたび注目が集まるなか、インタビューでその半生に迫った。(全2回の1回目/後編へ)※文中敬称略

「雨のなか、よう来てくれはりました。どうぞ、上がってください」

 そう言って、赤井英和は朗らかな笑顔を浮かべた。ドラマや映画、あるいはバラエティ番組で幾度となく目にした、どこか人懐っこさを感じさせるあの表情だ。取材当日はあいにくの空模様だったが、広々としたリビングには、大きな窓からたっぷりと光が射し込んでいる。

「初めてのどつき合い」の意外な動機とは?

 俳優やタレントのイメージが強すぎるせいか、赤井がボクシングで世界のベルトに迫った過去は、意外なほどに顧みられていない。プロボクサーとして活動した約4年半の通算成績は21戦19勝2敗(16KO)。豪快なKOの数々で見るものを熱狂させ、全盛期には同時代の日本人世界王者を凌ぐほどの人気を誇った。

 赤井はいかにしてボクサーとして成り上がり、なぜ志半ばでグローブを脱ぐことになったのか。その波乱万丈の半生を、本人の証言をもとに紐解いていきたい。

 話は1970年代半ばの中学時代にまで遡る。当時の赤井は、大阪中に名を轟かせる筋金入りの“ごんたくれ”だった。一方で、意外にも「小学生までは成績もクラスで一番、二番でしたし、学級委員をやるくらい優秀」だったという。

「タバコは小6から吸うてましたけどね(笑)。初めてケンカをしたのは、中学校の入学式でした。それまではどつき合いなんてしたことない。でも友達も知り合いもおらん中学で仲間を作るには、ケンカをすることやないか、と思ったんです」

 大阪市西成区に生まれ育ち、区を跨いで阿倍野区の小学校に通っていた赤井だったが、学区上の制限から“地元”の今宮中学校に進学することになった。小学校の友人は誰もいない。「どないしたらええんや」と思い悩んだ赤井少年が出した答えが、「ケンカをして、仲良くなること」だった。

【次ページ】 「どっちゃでもええわ、高校なんてやめたるわい」

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