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ボクシングPRESSBACK NUMBER
死にかけたボクサーはなぜ芸能界に? 俳優・赤井英和(63歳)が今も第一線で活躍できる理由「半沢直樹のときもNG、多かったなぁ…」
posted2022/09/08 11:03
text by
曹宇鉉Uhyon Cho
photograph by
Shiro Miyake
かつて将来を嘱望された“浪速のロッキー”は、空虚な日々を過ごしていた。
世界のベルトを手にすることは叶わず、赤井英和はリング禍によって生死の境をさまよい、25歳でプロボクサーとしての未来を絶たれた。引退後は、母校・近畿大学ボクシング部の嘱託コーチに就任。学生たちの指導にあたっている間は、虚しさを紛らわせることができた。しかし、それも1日のうちのせいぜい2時間。当時の心境を、赤井は率直にこう語っている。
「近大では、そら情熱と愛情を込めて後輩たちを見ていましたけど、あとの二十何時間はすることがないですからね。なにをどうしたらいいのかもわからへんし……。現役時代にお世話になった先生やら先輩、後援者の人たちに挨拶に行って、これが今せなあかんことや、と思いながら自分をごまかしていたというか……。いつも酒ばかり飲んでいましたね」
現役最後の試合を行ったのは1985年2月5日。世がバブル景気に沸くなか、「なにをどうしたらいいのかわからへん」まま、赤井英和の80年代は終わりを迎えようとしていた。
『どついたるねん』前夜、阪本順治と飲み明かした日
そんな折、赤井に転機が訪れる。かねて親交のあった母校・浪速高校の先輩である笑福亭鶴瓶から、「お前の人生おもろいから、本書けや」と勧められたのだ。
「いやいや本って師匠、学生時代から鉛筆もロクに握ったことないのに、と思いましたよ。ほんでも浪高の先輩で放送作家をされている方がいらっしゃって、いろいろ助けてもらいながら『どついたるねん』という自伝本ができた。それを読んだ阪本順治さんから、声をかけてもらったんです」
1988年の秋、当時監督デビュー前だった阪本順治と赤井は、西成の焼肉屋で2人きりで酒を酌み交わすことになった。年齢は阪本がひとつ年長。へべれけになるまで飲み明かし、映画『どついたるねん』の企画が動き出した。